江戸時代の冬って農作業できないのによく食糧保ったよな未だに納得しとらんのやが
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短くとも3〜4ヶ月は農閑期やろ?
各家がそんな量蓄えられたんか?
というかやる事無しにその間ずっと家に居るとか空気最悪になりそうやな 調べてもろくに出てこおへんのや
歴史家も分かっとらんのとちゃうやろな 例えでなくてほんまに気になって眠れん
野菜なんか漬物しかないんやで
壊血病にならんか? >>3
まあそうやろけど足りたんかな
海沿いはともかく長野は大変そうやな そばの実撒いて収穫
雑穀類 空き地に野菜 なんでも食べるよ >>5
ええ...
海外やと壊血病予防にザワークラウト持ち込んでたやん 玄米とかあわやひえ食ってたから保存きくんよ
白米は農民はたまにしか食わない
江戸病になるから >>5
たとえば米だって収穫できるのは基本1年に1回で秋だけやろ
そういうので1年回すわけや
米以外にも粟とか稗とかそういう別の作物とかもある
後は当然保存食とかやな、食文化は保存のために発展したものも多い
でも当然足りなくなる時は足りなくなって餓死者が出ることもあったわけや >>11
知っとるよ
でもあれ無いよりマシくらいの策やろ確か
あとビタミンB欠乏症とかもあるで 百姓って1年分の米をどこに保管してたのかは気になる >>15
冬野菜って関東以北でも育つんか?近畿はええやろけど >>17
アホ
北前船やろ
日本海側の諸都市がさかえたのは >>7
あと、当時植民地にしてた奄美や沖縄から輸入してた
南国は冬でも農業できるからね >>19
知らんけど千葉の船橋では育ってる
冬日が年間30日ぐらいの気候 >>18
ほんまやで映画とかドラマとか見てもそれらしきもん見当たらん
結構な量だしでかい蔵とかありそうやが 昔の家とか隙間だらけでくっそ寒かったと思うがよく凍死しななったよな ほとんどの国民栄養失調やったろなあ
現代のヴィーガンはサプリで栄養補完しとるけど当時はそんなものなかったし
江戸時代マンセーは北朝鮮素晴らしい言ってるのと変わらんで >>24
はえー貴重な情報サンガツやでマジ
関東はなんとかいけるんやな…当時はもっと寒いやろし、色々農業技術もちゃうやろけど 平民はいろりでも囲ってたんか知らんけど将軍様みたいなのはどうやって寒さしのいでたんや
将軍様も火の前にずっといたんか? >>22
アイヌとかシベリアの民族とかは逆に農耕せんからこそ生活できたっぽいで
冬はソリぶっ飛ばして獣狩ったり魚取ってた
その代わり人工は少なく抑えてたんやろうな
むしろ北方狩猟採集民の方が納得できる >>28
そうでもないで
雀食ったり、野猫取ってきて猫鍋にしたり
結構肉食ってたみたいよ 米はだいたい偉い人に取られて常に飢えてたイメージある 無理なら死んでくだけや
生きてけるやつだけが生き残るだけ >>32
続縄文文化からアイヌ文化に変わって耕作は放棄したけどそれは和人からコメを買うようになったからやで
狩猟採集で賄いきれたわけではない >>23
悔しそうで草
鮭だけであんなでかくなるかよw ヨーロッパのほうがずーっと寒くてジャガイモばっかりやぞ
産業革命始まるまで欧州は地獄 >>33
鳥と魚と冬眠しない一部の獣よな
冬でも関係ないし
後は地中の越冬中の植物の根とかやっぱ食ったんやろな
にしても結構な量やで
ホンマに多分どでかい蔵に蓄えてたんやろな米 江戸時代も後半になると徳川悪政のせいで
平均身長まで縮んだ時代から そもそも今みたく米として保存せずに玄米のまま保存しとったし
食べるときに脱穀しとったんやで >>38
北前船だけなら他の都市だってもっと栄えてるよw 江戸時代は大根、蓮根、ナス、キュウリ、人参なんかが育てられた >>37
米を買って人口が増えてしまったから狩猟採集が維持できなくなったと考える方をワイは採用したい
でないとシベリア民族が生きてる事の説明にならんからね 米は税としてとられるからヒエとかアワとか蕎麦の味栃の実や栗とかじゃないっけ?
干した山菜や根菜を戻したり 農村は雑穀がゆ食ってるから白米しか食わない都会人より健康 西日本の方は蕎麦とか雑穀を二毛作でけっこう作れるからマシ
悲惨なのは東北
天明の飢饉では借金苦の弘前藩などはお救い米も出せずに村によっては人口が1/3になり死人を食うのが常態化した。天下泰平の江戸時代は東北人にとってあまり泰平ではない ともかく食料事情はまあ関東以南なら冬野菜も作れるしなんとかなりそう
関東以北は人口を制限しつつ計画的に保存食利用すればよさそうやな
にしても食事はいいとしてやる事ないな
冬仕事で草履とか作るったってみんなして作ったら草履まみれになるやろし >>49
しかも当時は自由に移動しちゃいけなかったんだよな
他県に行ったら死刑
マジで地獄やろ
自由に移動できてたらみんな沖縄に逃げてたやろうな >>47
最近では農民も普通に米食ってた説が主流やで
でないとあの大量の米を武士と町人だけで消費しきれんからな 今の感覚だと完全に腐ってるとされる状態のものでも食ってた
昭和末期でも腐った野菜とかその部分だけ切り取って使ったりしてたしな
飢饉のとき餓死者よりも食中毒のほうが遥かに死者数が多いことからもそれがよくわかる >>44
東海道新幹線の各駅はすべて平等に栄えとるんか?w >>49
やはり西日本なら二毛作ないし短い農閑期でまた農作に移れるんやな
稗とか寒さに強いしな
そして東北はやはり悲惨やったんやな…なにせ雪に埋もれるから木の根も掘るに掘れんしな 草履は耐久性ないからじゃんじゃん使い捨てらしいぞ。
だからこそ百姓の年寄りなんかの手仕事でも量産できてさばける金か物になる >>53
都会みたいに白米食ってた訳じゃなく雑穀混ぜた粥だったみたいだけどね
食味は落ちるが栄養価の高い雑穀のおかげで肉体労働に耐えれた >>55
チンケな知識でドヤるから
アホな例しかだせないんだよw
言うに事欠いて 新幹線()哀れ >>42
当時の農民は脱穀してなかったんじゃないかな?
玄米の方が栄養が段違いに豊富って聞くし >>42
当時の農民は脱穀してなかったんじゃないかな?
玄米の方が栄養が段違いに豊富って聞くし イザベラバートっていう明治の外人が東北行ったら悲惨だったって書いてたもんな
人々は痩せこけていて、不潔で臭いって
明治ですらこれなんだから江戸時代の東北とか地獄だよ >>47
農民の生活が楽じゃなかったのは事実なんやけど米食べられなかったってのは否定されてるみたいやで
単純な話、武士が米なんていくら年貢として集めようがせいぜい1人につき1~2人分くらいしか消費できんやろ(米だけじゃなくて酒とか作るとしても)
だから結局は農民も食べてたって可能性が高いわけやな
もちろんだからといって税は重くなかったとかいうわけじゃないしそれこそ他の税と引き換えに取り戻すくらいのことせざるを得なかった可能性はあるが >>52
せやな見落とされがちやけど木の皮というか内側の生きてる細胞部分は食える筈や
それから木の皮を肉に変換するシカやウサギはやはり食ったやろな 今ほど長生きはしてないし
食料尽きて死んだのもいるだろ
食い扶持減らす為に老人を…という話もあるしな 西日本でも日本海側はガンガン雪降るからな
太平洋側は二期作や場所によっては三期作まで出来た 江戸時代はエコでリサイクルみたいな賛美されがちやけど実際はそういうのってしょうがなくやってただけで森林伐採とか普通に多かったみたいやね
そしてそのリサイクル社会も肥料に人糞を使ってたから寄生虫被害が多くて明治時代の医者からは忌避されたりとか
やっぱ時代の制約ってもんはあるもんやね >>63
東北なんかそれこそ1960年代中頃まで冷夏の年には「子供を売りに出す前に役所に相談しろ」って看板立ってたレベルだしね >>60
反論できんならレスつけるなよ
東海道新幹線で論破ですwww >>63
サンガツ調べるわ
やはり東北以北は現代技術なしには人口制限して保存食と漁猟で冬を凌ぐのが正解みたいやなあ >>27
割と凍死っておったぞ
現代でも年間1000人超えとるしここ20年でむしろ増えとる >>70
草
ガチの地獄やん
大地震来るし津波も凄いし、あそこに生まれるの前世でなんか罪犯してるだろ >>56
東北は排他的で人間の質が良くないのも
歴史的に貧しかったからやろな
歴史的に豊かな地域の人間は
おおらかやし親切 >>74
それ現代だろ
明治以降ならともかく江戸時代に死ってあるんか? >>76
寒冷地に強い米ができるのが遅かったのがひとつの原因やね 雪国に住むって現代でも罰ゲーム感あるし
ぶっちゃけメリット無いだろ >>77
東北は建物も昭和初期まで現役の竪穴住居があったって聞いた >>66
遠野物語では姥捨山なんかも…
米に関しては西と東でだいぶ違うかも。寒さに強い品種もなかったろうし
南部藩は見栄のために石高を過大報告してたらしいし、仙台藩も百万石になるのは政宗よりずっとあとの時代だし >>51
沖縄もやばいで
薩摩藩に征服されたあとめっちゃ重税かけられてるしな >>71
せやなアイヌも鮭凍らせとった
北海道や樺太ぐらい寒さが安定するとこういう事もできるわな
岩手や宮城は良くてもつまり秋田と山形は… >>87
秋田は外で天日干しすらできひんから考えついたのが囲炉裏で燻すいぶりがっこや 稲は亜熱帯作物なのに栽培限界超えた緯度で無理やり作ってたからな
麦作ならもっと楽だったろうに 江戸か安土桃山時代にいまより温暖な期間もあったみたいだしそのときの夏どうしてたんだろうな
干魃あったりしたみたいだし >>69
手近な山の木は燃料として伐採&伐採やろから禿山だったみたいだな
事実戦前の写真とか見ると緑生い茂る山々って感じじゃない 蕎麦の有名な産地は過去に飢饉や冷害で苦しんだ地域らしいな そういえばなんで日本ではコーリャン根付かんかったんやろ
沖縄ではある程度普及してるけど そうそう魚も漬物にするよな
秋田とかだとハタハタのすす漬け
正月のご馳走枠 >>94
だから西日本はソバ食わないのか
ソバと言えば関東・新潟だな >>92
農村の周りには低木の雑木林で出来たいわゆる「里山」があって
動物と人間の良い境界になってたみたいだよ
里山の資源は共同管理されててなんでも勝手に取っていい訳でも無かったみたい 東北と言えば昭和恐慌で大根の葉っぱかじっているのはネタ説があるな
身売りは役所に相談しろっていうのも同じく昭和恐慌の東北 >>92
江戸時代は鉱山採掘のため
戦前はインフラ整備のためやな
江戸時代まで来ると燃料に薪はいうほど使われてない >>78
でもあれやろ
ワイは何度も言うとるが、シベリア民族の例を見れば人口制限すれば狩猟採集で暮らせるんや
まして東北で一応米が作れれば問題なかったはずやで
つまりは人口が増えすぎたんや
んで多分それは国力の為、軍事的観点からやろな
この世が東北だけだったら慎ましくやってた筈や >>77
東北ですらそうなんだから北海道開拓した人たちがどれだけの地獄を乗り越えたのかって話なんだよな
当時屯田兵を見ていたアメリカ人医師が「北海道で米を作るのは無理だから麦を作れ」と何度も進言したという記録が残っている
それでも日本人は北海道で米を作り続けて今や全国2位の収穫高を誇る土地になってるんだからな
当時の人に今の北海道の水田を見せてやりたいわ >>102
栗(九里)より(四里)美味い十三里やぞ
サツマイモは美味いから普及した 応仁の乱前後の不作期に比べたら江戸期は安定してたほうよ 蕎麦自慢はお国が知れる
つまり貧しい地域だろっていう言葉もあるくらいだしな >>102
まずくてもお腹膨れればよかったんじゃね
その土地土地で取れる農産物がメインではあるやろ
たんぱく質とらないイメージ >>92
伐採が多かったのは鉱山運営のための他に建築需要が大きかったからっていうのもある 江戸時代まで戻らんでも60とか70越えた爺さん婆さんの子供時代は冷蔵庫とか無かったから聞いてみたらわかるで 戦前戦中は芋やぞうすいを食べてたっていうけど芋とか雑炊とかってうまくね?
――と思うのが現代人で当時の量産品の芋やかさましした雑炊なんてとても食べたくなるようなもんじゃなかったみたいやね >>87
秋田は国内有数の鉱山あってそこらへんは栄えてたから... ロシアとか北欧は何食べてたんやろ
そもそも人いないのか >>105
当時はあくまで米が主体で商業作物の作付けは少なかったからな
美味い芋なんて高価で一般人はなかなか食えない代物だよ 東北は食糧ない言うて江戸の米とか仙台藩産だらけやろ確か >>73
日本におきましては寒さは北海道
暑さは京都
世界では寒さはロシア東部内陸部
暑さは中東沿岸〜ジブチ
クウェートやドバイなら金かけて新興都市として暑さ対策万全だが
この辺りにも一応原住民いるみたいだがどんなふうに暮らしていたんだろうか
−70度 暴風豪雪
気温50度〜55湿度100 60度の熱風 強い日光
そもそもなぜそこに暮らすまたは新興都市を建てたんだろうか >>104
なんで麦作りたがらなかったんやろ
てか麦も中東原産やのによく北方で育つな
冬来る前に実るのかな >>112
戦中戦後の不味い芋食った人はトラウマになってずっと芋食えなくなった人も多いらしいしね >>116
仙台は作った米を大阪や江戸に売ってたから食うもんなかったんやで >>118
中東って寒いやろ
今もトルコとかイランとか雪積もってる 江戸初期の石高見ると福島宮城あたりは普通に石高高いけど北とか日本海側は悲惨や
石高に合わせた日本地図見るとわかるけど >>118
日本の気候には合わん
治水がガバガバの時代だと軽く越水するだけで全滅する麦はリスクが高すぎる マルチビタミンとビタミンCだけサプリのんでおけばあとは米食ってれば多分問題ない
米も当時は精米技術低かったから今よりビタミン豊富だし >>118
日本人の米信仰はかなり強いからな
戦後かなり経っても米はなんとか守らなければみたいな特別扱いが続いてて他の農業とのバランスが悪化してたくらいやし
明治時代とかならなおさらではある
ちなみに軍隊でパン食を普及させようとパンを振る舞ったら兵士が「上官殿、これはなかなか美味でありますな。ところで飯はまだでありますか」とナチュラルに言ってきた(つまり主食として認識できていなかった)みたいなエピソードも >>117
岩波文庫のシベリア民話集って本のあとがきにあったと記憶しているが、学者か作家かなんかが、シベリア民族を確か東欧にバカンスに連れてったらしい
そしたら「暑すぎる。シベリアの方がずっと過ごしやすい」って言われて仰天したらしい
感覚によるんやね
あとまあ多分ビタミンDの合成能力とかが人種的に格が違うとかあるかもね 夏に採れた瓜の仲間を冬まで保存して食ったりしとったんやで
そういう経緯で冬瓜って名前が付いたんやで >>120
記録残ってるけど売ってます100万石のうち30万石程度やで 甲陽軍鑑に載ってる話では、武田信玄が「百姓は冬の間はタニシを集めてるから…」
ってのがあるで。
ビタミンもたんぱく質もとれたんちゃう 当時の東北で稲作するのって無理難題に近いからな
当時は今みたいに乾田じゃなく東南アジアみたいな水田だしな 宮沢賢治でも1日に玄米四合と味噌と少しの野菜(ほぼ雑草に近いようなもの)で生きとったんやで >>121
まあそうか米の故郷よりは寒いのかな
調べてみるよ
>>123
そうかあいつ水に強いわけじゃないのか
ヨーロッパって全体的に日本より雨少ないしな
>>125
五穀豊穣の中に入っとるのにな麦 >>126
熱波があった時期に行ったのかな
欧米は夏は熱波や干魃もあるから暮らすのも食料生産も大変だっただろうな
東アジアは湿度のせいでまだマシそうだな >>131
昔の人間はごく少量のおかずで大量の米を食うのが普通だったんだけど
宮沢賢治の食う米の量多すぎなのではと思って書き換えが行われてた戦中という闇 >>129
田んぼは恵みの宝庫
タニシやエビやカニやモロコがドジョウなど食えるものがいっぱい
昆虫食も当たり前だから田んぼほじれば何か出てくる
でも東北はそこすら雪で塞がれるしね >>107
米作れない土地でも蕎麦なら作れたから仕方なしに・・・ってのが信州だな 良い面だと東北とか関東だと肉食のタブーは関西より少ないから狩猟はもっと盛んだったみたいやね 子どもの頃のたんぱく質摂取量が
身長に影響してそう 田舎は普通に昆虫食するから意外とタンパク質摂れた
寧ろ都会が栄養失調気味 肉が1番の万能食よ
イヌイットは生肉だけで生活できてる
野菜とか良いから肉食え
ホリエモンも言っとる >>129
貴重な情報サンガツ
魚はもちろんタニシもサワガニもザリガニも何でも食ったやろね シベリアや南極も動物いるから食料はあるが中東沿岸だと暑過ぎて動物もいないからな
メッカもそうだがバグダッドとか焼ける暑さだし
中東も食料確保どうしていたのか気になる 仙台藩福島藩あたりのやばいのは米が取れすぎるから米以外作る必要ねえなってなって米ばかり作ってたから不作で一気に飢饉になる事や
米に頼りすぎてた 江戸時代は人口が増えてるから幕府の政治は良かった説もあるが、
他国との比較が同じ条件でできないからなんともいえんな
まあ米の輸出をしてないなら飢餓輸出はなかったんやろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています