戦後のニヒリズムが世を覆っていた頃、
僕は何を思ってか、負傷兵のフリをし、足を引き摺って学校を歩いていた。
「戦死者を侮辱しているのですか?」右翼の先生は怒鳴り、僕の太陽に焦げた顔肌を叩いた。
紅潮した肌が夏の日差しによう似合っていた。
僕はそれから、先生から“赤”子(あかご)と呼ばれるようになった。今振り返るとなかなかの屈辱とユーモアの籠った蔑称だ!