ワイ「世界は言葉で表現できるものしか存在しない」←異論ある?
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1960年代の唯物史観の学生がそんなこと言ってたな
その観点の名前はわすれたが ワイ今フーコーの言葉と物読んでるんやが訳分からなすぎるで >>12
言葉で表現できないものは沈黙しないとあかんしな
反論した時点でワイの勝ち ワイが適当に作った言葉で表現したらそれは存在してることになるんか まあ「あれ」とか「こんな感じ」とかクッソアバウトな表し方でもいいとすればそうやろうな 言語論やな
言葉のない動物はどう認識しとるんやろか >>25
我々は語りえぬものについては沈黙せねばならないやっけ >>26
「食べられるもの」
「触っちゃいけないもの」
「なんかムカつく奴」 >>28
言語から生まれたものや
存在→言語
ではなくて
言語→存在や 例えば数学とかも書き出せば文字として読めるから言葉として表現できてることになるの? 名前をつけたものは実際無くても存在してしまう、やと思う 言葉で表現できるものしか存在しない、と
存在するものは言葉で表現できる、はニュアンスが微妙に異なるけど、後者なら納得できるけど前者は納得できない感 >>42
風邪で高熱出てる時に見る夢と表現してるやん これ唱えてる論者にアプリオリという概念はないんか? 言葉にできないものは知覚の外だから仮にあったとしてもそれが存在していると認識できないな >>43
>>49
無から有を作ってくれよ
皆が理解できなきゃ意味ないからな 名付けれるだけで「表現できた」としていいなら
人間に認知可能なものは全部そうやろけど
未だ原理が未解明で名前だけつけられてる現象とかはあるわけで、それを「表現できた」といっていいものなのか 宇宙にあるまだ見ぬ未知の物質は
まだ表現する言葉がないけど存在はしてるぞ >>53
それ複雑で意味わかりにくいからここでその単語出したって名前だけが先行するだけだよ >>56
適当な言葉を作ってみんなが理解できなくても
理解できないものが「ある」
とあることを認知するやん
つまり存在してるということ 概念としてしか存在しえないものについては言葉で表現することはできるけど
実際に存在するものを言葉で表現することはかなり難しいよ
命名することは表現すること違う >>28
議論領域ないし個体領域に含まれる項、個体はその領域に相対的に存在しとるってのが現代哲学のスタンダードな見方やな 形而上学全否定やんけ
どの学問でもそういう要素は避けて通れないやろ
生きづらそうやな ウィトゲンシュタイン先生がなんJやってて草
入門用のオススメ書籍教えて 「あれ」とか「これ」とかまで言葉で表現できるものに含めるなら何でもありやな
それだと存在してようがしてなかろうがあらゆる事象は言葉で表現できるってことにならんか? >>33
キャラクタは言葉にとって本質的じゃないから文字や音声にされんでも言葉で表現できるって考え方は一応可能やないか >>69
犬やカラスの鳴き声も言葉になってしまうわな >>64
確かにそうやな
イッチが存在という言葉で現実存在を意味しているのかあるいはもっと広い意味での存在なのかはわからんが いや、異論も何も別にそんな自明のことでもないだろ。存在の定義に関してそれ
議論しないといけないし 全てはデータ化可能と言いたいわけだろ
人間の記憶は難しいかな じゃあ昔の人類みたいに言葉を持たない生物にとっては世界には何も存在しないのと同然ってこと? >>57
イッチのは表現"できる"っていうモダリティに訴えた主張やからな
今の時点で解明されているか知られているかは問題ではなくて原理的に表現可能なのかどうかってのがポイントやないか 例えば犬という生き物を表現することはできるか?という話
犬と言う言葉は表現したことにはならない
仮に犬を知らない人間に対して犬と言ったところでその人に取っては単なる"い"と"ぬ"という二音としてしか通じない
これでは表現したことにはならない 言葉で表現できないものが存在している←これは言葉で表現できてるの? >>81
なら存在しない
これ以上議論するのは無駄 面白い話かと思ったら
なんかただのつまらん屁理屈やな
結局「表現」って言葉があいまい過ぎてなんでもありやん >>85
言葉で表現できない物を
言葉で表現できない物として表現できる
括りに入れるなよ 言語的に理解できないものに学問的価値はないってのなら同意するで
存在論的な話になると変わってくるが >>87
クオリアのような認知問題じゃなく、異なるウンベルトを表現できないという感じかと思ってたわ
なんにせよイッチがガイジすぎておもんない。
スレを伸ばしてアフィりたいならもう黙ってて欲しいわ。 >>91
数字というか数学は人工言語という意味で講義の言語やで
せやから自然言語というか日常的な概念や想像力で理解できなくても数学的に表現可能なことなら価値はあるとおまうわ クオリアは存在を相互に理解してないとクオリアって言葉使えないし内容を言葉で説明できないのにクオリアで通じる時点で言葉で表現できてる
だからナンセンスだよね >>92
ちなみにクオリアを他の言葉で表現できるとは思うん? 最近思弁的実在論とかオブジェクト思考存在論とか読んでみたけどイマイチピンと来んわ
マルチスピーシーズくらいまでのポストヒューマン思想なら身近に感じられるんやけどなあ >>1
こそあどでみんな証明できるやん
説明ならともかくな >>93
英米でいうところの概念枠の翻訳可能性の話かな >>102
イッチの応答見とる感じやとバークリが確かに1番近そうやな >>105
みんなどこでそういう名前拾ってくるんや 語源学ってよく言葉遊びだと捉えられがちやけど、人類の思考や認識の発展を追ってくのに必要なんやって最近気づいたわ
言葉を扱い出してから存在の見方が変わってくの面白い >>8
種類分けの話やろ
例えばコンビニ100件回ってケーキ買ってそれらを一個一個言葉で言い表せるか?って事やぞ それってドゥンススコトゥスとウィリアムオブオッカムの普遍論争の問題意識になってくんじゃねえの >>106
バークリは古典的な観念論者やから哲学史学んでたらだいたい耳にするで ワイの家の裏にある息子のおもちゃはなんと表現するんや? >>110
やっぱりみんな勉強しとるんやね
哲学の言葉はパノプティコンしかしらん >>111
昔は名前に出身地つけて「どこどこのだれだれ」みたいな呼び方で呼び分けてたからオブが付くのは当然やで ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています