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【もう君はいない】「毎日、妻の遺影に晩酌している...」がんで亡くなった妻を想う3年の歳月(後編)
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0001風吹けば名無し
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2022/03/27(日) 22:07:39.63ID:8ca8OXV8M
結婚当初は他人だった。しかし、25年の銀婚式を迎えるころに、夫にとって妻は“自分の分身”になっている。本連載では、『不倫女子のリアル』(小学館新書)などの著書がある沢木文が、死や離婚など、妻と突然の別れを経験した男性にインタビューし、彼らの悲しみの本質をひも解いていく。

お話を伺った、光岡則夫さん(仮名・60歳・店舗設計会社役員)は、3年前に結婚28年の妻を胃がんで亡くした。

【前編は関連記事から】

腰痛をずっと我慢していた妻
「体調が悪いと言い出したのは、娘の結婚式前後でした。娘もデキちゃった婚なのですが、嫁ぎ先はきちんとした家。老舗ホテルで結納を行い、そこで式も挙げました。相手は娘と同じ商社に勤務する先輩社員で、相手側のテーブルには、見たことがある有名人がズラリと並んでいるのに、こっちは庶民的なオジサンとオバサンばかり。妻も『なんだかヘンな式ね』と言いながら、相手の列席者に対してヘンテコなあだ名をつけて私を笑わせようとする。あれだけ食べることが大好きなのに、食べ物には一切の箸をつけていなかった」
0002風吹けば名無し
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2022/03/27(日) 22:08:04.17ID:8ca8OXV8M
家に帰ってきて着物を脱いだ妻に則夫さんは「お茶漬けでも食べる?」と言う。すると、「食欲がない」と言ってベッドに入ってしまった。夜中に「脚がぞわぞわして、つってくる」と訴える妻に対して、隣のベッドに眠る則夫さんは「気のせいだよ。もう寝なよ」とあしらってしまった。これを今でも後悔している。

「それから一週間、体調不良で妻は仕事を休んだんです。もともと病院が大嫌いで、名前の付く病気をしたことがないのを自慢にしていた。日ごろから健康に気を付けているから会社の健康診断も、ほとんどがA判定でしたし、私も娘も『ママは不死身だ』などと言っていた。そんな妻が『苦しいから病院に行く』と自ら言い出した時は、嫌な感じがしたんです」

妻と一緒に近所のクリニックを受診したら、すぐに「もっと大きい病院に行ってください」と総合病院の紹介状を渡され、すぐに、専門医の診察と検査を受けた。

「検査後、私だけが呼ばれました。ドラマみたいでした。内科の医師は、『胃の上部に腫瘍があり、手術で胃の全摘出が必要です』と言う。予断を許さないらしく、手術は3日後だという。外科の医師が説明に来るまで、妻とベンチで待っていたのですが、彼女の性格を考えると、がんだと伝えた方がほうがいいと思った。その後、『あ〜、やっぱり』と言う。聞けば、ここ1年くらい腰痛に悩まされていたのだそう」

則夫さんは、「結婚前の私なら『どうして言わなかったんだ』と激怒していたでしょう」と続ける。
0003風吹けば名無し
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2022/03/27(日) 22:08:25.78ID:8ca8OXV8M
せめて、手紙を残してほしかった
「妻と結婚してから、『過去を振り返らない、今しか見ない』という彼女の生き方に感化された。夫婦って、思いが強い方に引きずられるんです。終わったことを後悔してもしょうがない。だから手術の成功を祈り、元の生活に戻れるように全力を尽くそうと思ったんです」

手術は6時間もかかったが、経験豊富な外科医が執刀し、手術は成功した。

「手術後1週間で、本来なら入院していなければならないのに、妻が『家に帰る』と言い張ったので、自宅に帰りました。あのときの妻の嬉しそうな顔はなかった。私に料理を作ろうとするんだけど、体力が落ちて立っていられない。休んでいろと言うと『人間は動くことでエネルギーが生み出されるのだ』と、バカボンのパパみたいなおどけた口調で言う。私も仕事を休んだり、時短勤務をしたりして、妻と一緒にいる時間を1秒でも多く作ろうとしていました」

それから、入退院を繰り返すうちに、がんは全身を蝕んでいき、徐々に病状が悪化。最後の10日間は終末医療センターで過ごした。

「同僚や友達、臨月近くの娘夫婦が来て、好きな音楽を聴いてのんびり過ごしました。娘が帰った後、『私、28歳で母になって、56歳でおばあちゃんになる予定だったのに。これからあなたと一緒に過ごすはずだったのにね』と泣いたんです。それが意識があった最後の瞬間。翌日から昏睡状態になり、あっという間にあの世へ行ってしまった」
0004風吹けば名無し
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2022/03/27(日) 22:08:48.37ID:8ca8OXV8M
それから、入退院を繰り返すうちに、がんは全身を蝕んでいき、徐々に病状が悪化。最後の10日間は終末医療センターで過ごした。

「同僚や友達、臨月近くの娘夫婦が来て、好きな音楽を聴いてのんびり過ごしました。娘が帰った後、『私、28歳で母になって、56歳でおばあちゃんになる予定だったのに。これからあなたと一緒に過ごすはずだったのにね』と泣いたんです。それが意識があった最後の瞬間。翌日から昏睡状態になり、あっという間にあの世へ行ってしまった」

奥様は「貯金は、全額を娘にあげてね」とメモを残していたのみ。則夫さんには何のメッセージも残さなかった。

「私に手紙が欲しかった。『ありがとう』でも『バカヤロウ』でもなんでもいいよ。でも、そんなことをしたら、妻の死後、私が前を向けないと思ったんでしょうね。愛の言葉や料理のレシピを残されたら、私はいつまでも思い出にすがっていた。妻の納骨が終わった後、ホントに自分の内臓が裂けて、血が流れているような悲しみがあり、妻がいつも座っていたソファに顔をうずめて、おいおい泣きました。今ではもう消えてしまいましたが、そこには妻の匂いとぬくもりがあったんです」

それから、家の中で奥様の気配を感じることがしばしばあった。その機会が増えるように、毎晩、遺影に向かって晩酌をしているという。

「亡くなってから1年間は、写真を見るだけで泣いていたけれど、時間が経つにつれて、落ち着いてくるものだね。娘がよく孫を連れて様子を見に来るんだけど、ちゃかしたように『ジイジ、キモっ』って言うんですよ(笑)。声も口調も妻に似ているけれど、妻ではない。たぶん、一生、妻の面影を引きずって生きていくでしょう。昔誰かが、『オシドリ夫婦は、どっちかが早死にする』と言っていたけれど、ホントにそうなんだな、と思います」
0005風吹けば名無し
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2022/03/27(日) 22:09:14.39ID:dJqaReXW0
Gにたてろ
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