夜の校舎は薄暗くて、先の見えない恐怖がある。それでも対妖魔防衛隊に属する俺は、ここで妖魔の報告を受けて臆することなくやってきていた。そして、それももう最終局面に入っている。 鈴を鳴らすような、お淑やかな声が無人の廊下に響き渡る。俺は身を固くしながら、〈彼女〉と向かい合っていた。

「皆が騒いでいるから、どんな物々しい方が来るかと思ったら……こんなに素敵なお方だったのね?うふふっ」
「黙れ妖魔……この学校の生徒をどこへやった」「危害は加えていませんよ?ちょっと私好みに変えただけです」

 数日前、この女子高の生徒が忽然と〈消えた〉。学校から漂う妖気から妖魔によるものと判明、俺が派遣される—―が、犯人がこんなに可憐な少女だなんて。

「申し遅れました、私は奥宮小雪《おくみや こゆき》……これでも淫魔の女王です」
「淫魔……!」

 聞いたことはある。サキュバスと呼ばれる種族……人間の精気を吸い取って生きる妖魔。しかもその女王、倒さない理由がない。奥宮は妖艶に嗤い、その長い黒髪を棚引かせて言う。彼女の周りには無数の触手が舞っていた。

「私、この学校の生徒会長でして……恥ずかしながら、男性とお話した経験がないのです。どうか貴方のこと、お兄様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「……やめろ。嘘を言うな」

 この少女から放たれる妖しい気配は、一人や二人食ったくらいで得られるものではない。その赤い唇で何人の命を奪ってきたのか、想像するだけで身震いする。

「……大人しく投降するなら見逃してやる。俺とて戦いたくはない」「お優しいのですね、お兄様……では一つ、約束をしましょう」「約束?」

 微笑みながら軽く頷き、奥宮はその白い指を僅かに揺らして呟く。

「今から私と戦って、お兄様が私の髪を一本でも切ったらそちらの勝ち。私は投降します。ただし、お兄様が先に投降したら—―貴方は私のものになり、罰ゲームを受けてもらいましょう」
「罰ゲーム……?なんだそれは」「ふふ……それはお楽しみ」

 俺の頭に血が上る。誰がそんなルールに乗るというのか。

「馬鹿にするな」「乗った方が良いんじゃないでしょうか?だって、私に勝てる自信がないから投降を勧めたんでしょう?」
「そ、それは……」「私だって戦いたいわけじゃありません。ですからここはひとつ、お兄様に優しいルールを課してあげようと思いまして」

 俺は呆気にとられた。妖魔のことを信じる人間などいない。でもだからこそ、そのルールとやらに乗って完膚なきまでに叩き潰すべきなんじゃないのか?俺の中の俺がそう言った。思えばここで引いておけばよかったんだ。俺は剣を抜き、勢いよく奥宮に斬りかかった。

「よし、乗ってやる。負けても後悔するなよ!」