ワイ。玉音放送を久々に聞いて終戦の時を思い出して泣く
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うちの村アホばっかやから万歳始めよったわ
あの時は心底呆れたな >>4
あいつら日本語もわからないキチガイどもだからな 安堵なのか怒りなのか虚しさなのか、
生で聞いていた人達はどう思ったのか興味深い >>5
ガキかな?
あのころは勝ったと思って喜んでた奴らがいた >>7安心やぞ。ワイは特攻させられるかと思ってたからな ぶっちゃけ音質悪すぎて何言ってるのか聞き取れなかったゾ(史実) >>11
所々でわかるぞ。というか特攻していて沖縄たられた時点で昭和天皇が話すなんて言えば敗戦とわかるわな ワイの婆さんは何言ってるのかわからなかったけど勤労奉仕先にいた嫌いなハゲが泣き崩れているのを見て友だちと大笑いしてたと言っていたわ どの戦いに参戦したんや?死にそうになった体験教えてや 俺も子供の頃、村でみんなで聴いたけど
あんなの何言ってるかさっぱり分からなかったわ
みんなもどういう事や?みたいな顔してたわ >>10
そうなんか、わからんけどワイも特攻しなくて良いってなったら安堵するやろなぁ
でも複雑な気持ちもあるやろなぁ
つまりワイはわからん、すまん >>25
耐えがたきを耐え忍び難きを忍びってフレーズが有名な太平洋戦争の敗北宣言 ワイの98歳の祖父は戦争行ける年齢じゃなかったって聞いたぞ?🤔 結構腑抜けた声で読んでるように聞こえて今聞いても緊張感とか分からんのだよな 四十年勤め上げた會社を退職し、何やら張り合いの無い日々を送る内、大學生
の孫に「退屈しのぎに遣って見たまへ」と勸められた弐チヤンネル。
當初は「こんな電腦示板、何たる幼稚加減」と莫迦にしてゐたものの、
遣つて見ると存外に面白ひ。
華やかな色彩の髪と目を持つうら若き乙女に「ゆとり乙」と何度と無く罵られるにつけ、
食ふや食はずやで慌しく過ぎ去つた學生時代が自ずと思ひ返され、
「戰爭さえ無ければ、小生もこのやうな青春が送れたやも知れぬ」
と獨りごちることも屡々。
すつかりとなつた今では、孫の部屋から白銀色の電腦計算機をせしめては書齋に篭もり
存分に「祭り」を堪能する毎日を送つている。
「小四女兒遺棄事件」なるスレツドを拜讀した際には、その餘りに不憫な境遇と過酷な運命に
落し、臺所で葱を刻む家内に「かような理不盡が許されていいものか!」と
熱辯を振るって呆れられる始末。年甲斐もない、とはこのことと後で赤面すること
しきり。
下手の横好きとはいえ「繼續は力なり」の言葉通り、最近ではブラクラの回避
やコピペの管理にも慣れ、「好きこそものの上手なれ」を座右の銘として
弐ゲツトに勵んでいる。
同年代の友人達が癡呆や重い病に惱まされるなか、老いて尚矍鑠としてオフ會に
向かえるのも、ひとえに弐チヤンネルのおかげかと思えば、再三に渡る「半年ROMつてろ」の
罵り文句も、何やら「まだまだ死ぬには早いよ」と言われているようで愉快極まりない。
ひとつ間違えれば自らが乗り込んでいた機體と同じ名前を持つコテハンに出會える日を
樂しみにしつつ、今日もデスプレヱに向かう。
それでは、弐ゲツト。 玉音放送の後
天皇が国民にメッセージ送ったんて
東日本大震災までないんか? ワイのジッジ
「何あれ?ギャハハ!きのこ雲みたい!www」
「玉音放送?何言ってっかわかんねーよ!wwww」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています