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黒澤明は13回自殺未遂をした
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0001風吹けば名無し
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2023/07/31(月) 21:32:14.66ID:zbrZHbsY0
メンヘラやん
0002風吹けば名無し
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2023/07/31(月) 21:35:07.06ID:ZLNrQfpL0
猿之助を見習え
0003風吹けば名無し
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2023/07/31(月) 21:35:12.92ID:zMqDf+wi0
そうなの?
0005風吹けば名無し
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2023/07/31(月) 21:40:02.85ID:zbrZHbsY0
自殺未遂は有名な話だけど13回は真偽不明かもしらん
0006風吹けば名無し
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2023/07/31(月) 21:40:33.60ID:zbrZHbsY0
アンゲロプロスは黒澤の『蝦蟇の油』ギリシャ語版に序文を寄せ、自分と黒澤の関係について書いているそうだ。アンゲロプロスが最初黒澤に会ったのは1971年のロッテルダム映画祭で、歌舞伎と能の違いについて話を聞いたという。その時の黒澤は明らかに衰弱していて、話し方もゆっくりしており、今にも泣き出しそうに見えた。黒澤は同年の暮れに自殺未遂を起こしているから、この時も精神的に落ち込んでいた可能性がある(ちなみに映画史家のPeter Cowieによると黒澤は13回も自殺を試みているという)。
2度目に会ったのは『アレクサンダー大王』の宣伝のために来日した時で、黒澤は見違えるように元気になっていた。黒澤は同作に感動し、わざわざ朝日新聞に執筆した自分の批評文を携えてアンゲロプロスに見せたらしい。2人はカラー撮影、特に黒色をどう表現するかについて話を交わした(黒澤は『アレクサンダー大王』の衣装の黒色に強い印象を受けた)。この時から2人は親しくなり、アンゲロプロスの新作の撮影に大きなトラブルがあった時も黒澤は激励の手紙を送ったそうだ。
最後に会ったのは1989年の9月。黒澤はすっかり好々爺になっており、自分のキャリアの終わりについて静かに語ったという。
2人の友情は黒澤が亡くなるまで続いた。
0007風吹けば名無し
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2023/07/31(月) 21:42:29.14ID:zbrZHbsY0
1971年と1990年前後の2回は間違いない
0008風吹けば名無し
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2023/07/31(月) 21:42:50.73ID:zbrZHbsY0
‐黒澤監督の自殺未遂について

(野上照代)これはわたしの個人的な意見ですが、実際に自殺をしようとした人にしか理解できない境地だと思うんです。けれど、外国に行くとよく新聞記者がこの質問をしてくるんですね。海外の方は、黒澤監督が映画『トラ・トラ・トラ!』のショックであの自殺未遂を起こしたと思っている方が多いのですが、それは違います。黒澤監督はこの『トラ・トラ・トラ!』の件があった後に映画『どですかでん』を撮ったんです。その後に自殺を図ったので、むしろこの作品の方が彼に影響を及ぼしていたと思います。
https://www.cinematoday.jp/news/N0014322
0009風吹けば名無し
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2023/07/31(月) 21:44:53.91ID:6N8p/nOa0
ホモ猿は自殺を装った
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