男には見るのもやるのも好きなスポーツが最低1つはないといけない風潮あるよな?
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・○○マガジンを購読
・CSで試合をチェック
・過去の伝説の試合を回顧
・選手トレカでまたこいつかとダブりを嘆く
・RPGキャラが外国人選手名←一番お気に入り
・ちょっとした物事をスポーツで喩える
・キーホルダーがスポーツ用品型
・⚪︎⚪︎用品店の店主と懇意
・メアドもスポーツ用語
・マイナー選手の細かすぎて伝わらない物真似を一つは出来る
これらの要素がなければいけないのでは的な。
没ネタ
・自分の名前の付いた必殺技持ち
・死後に墓前にユニフォームなどを供えられる
小中高メインの話だけど、成人後も少なからずあるでしょ。 実際「山田君は野球、田中君はサッカー、佐藤君はバスケ、高橋君はテニス。それぞれが好きなスポーツを頑張っているね!皆違って皆いいね!個性って素晴らしいね!」ありきは多々感じたかな。
中村君はバレーで小林君は剣道が続くというか、全体的になんとなくのニュアンスで言わんとしていることはわかるでしょ?
一見すると多様性やら十人十色やらを謳っているようで聞こえはいいが…
結局認められているのはスポーツに興味があるかないかの個性ではなく、どのスポーツに興味があるかの個性という闇。 スポーツを楽しみたかったわけでもなく
スポーツを上達したかったわけでもなく
スポーツで他人と交流したかったわけでもなく
スポーツで身体を鍛えたかったわけでもなく
スポーツに興味がある事実、好きなスポーツがある事実だけが欲しかった。
過程でも結果でもない、事実だけな。
好きなスポーツの養殖? 一般的には好きなスポーツがあるのがスタートだが、俺にはゴールなわけだ。
♪私にはスタートだったの あなたにはゴールでも
J-WALK理論は汎用性が高い。 絵を描くのが好きな子も歌うのが好きな子も読書が好きな子も、それはそれとしてそれとは別に男ってだけで1人1スポーツを強要されるのって2000年代頃まで顕著で今でもあるでしょ。 ボウリングは小中高の頃だと、1人1スポーツ認定されない印象。
この辺もやはり闇、ちゃんとしたスポーツという表現も胸糞悪いよな。
まさかボウリングなんかで逃げようってつもりじゃないだろうな!?的な。
その一方で吹奏楽は擬似スポーツ扱いなのも闇。
ギャグ漫画のハロウィン回であった、酢昆布やカロリーメイトは菓子扱いか否か的な。
ボウリングをスポーツと言い張るのって、アメリカ人のデブがジャガイモを野菜と言い張るのと同じなんだよな。 1人1スポーツの中に最低1人は憧れでお気に入りの選手がいなければならず
・下敷きやファイルを持つ
・サイン入りユニフォーム等が宝物
・背番号がラッキーナンバー
・名言が座右の銘
・ポスターを部屋に貼る
・待受もその選手
・母校に聖地巡礼
・子供の名前もそこから付ける
やはり、これらの要素がなければないといけないのではとも感じていた。
>>1と同様に20代以降で付け加えたり誇張した部分はあるけど、やはり全体的になんとなくのニュアンスで言わんとしていることはわかるでしょ?
実際>>1と同様に当時からここまでではないにせよ、これに近いことは思っていたし…
没ネタ
・何かあるとポスターの中の選手に相談 俺は絵にも興味無いけど、あくまで比喩。
一番わかりやすいのが絵かなって。
絵を言い訳にスポーツから逃げるな、的な。 スポーツとして認定される基準って、早い話が少年◯◯教室的に既存のコミュニティとして成立するかどうかなんだよな。
(少年ボウリング教室ってあるのに、ボウリングはスポーツ認定されないのもやはり闇)
つーか男の子が部活や習い事に属すのが1人1スポーツ×山田君田中君シリーズの証明書だろ… 小田原ドラゴンのおやすみなさいで、主人公が無理矢理どこかのプロ野球チームのファンになろうとする話がある。
「おかしいなあ日本人なら一つは贔屓の球団があるものだよ」と言われたから。
漫画だし誇張されてはいるが、すげーわかる。
2000年頃の漫画(読んだのは平成20年代になってからだが)で当時は今とはプロ野球のあり方も違うが、そういう時代ではあったよな。
今以上に「野球好き?」ではなく「どこファン?」から入る時代。
作者は19上の1970年生まれ、さぞ肩身が狭かったのかな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています