【朗報】中田敦彦のお笑い、やはり知性が必要だった
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キュビスムは、物や人を複数の視点から捉え、幾何学的な形で表現する絵画の様式です。このようなアプローチによって、従来の遠近法にとらわれず、物や人の本質に迫ることを目指しました。
同様に、中田氏の笑いも教養や知識を多角的に結びつけ、観客に新たな視点や発見をもたらすことで、笑いの領域を広げています。彼の笑いは単なるギャグやネタに留まらず、文学や芸術、歴史など様々な分野を織り交ぜながら展開されます。
中田氏の笑いには、キュビスムのような多面的な表現が見られます。彼は時に異なる知識や文化を組み合わせ、独自の視点から笑いを生み出します。その結果、観客は一つの事象やテーマに対して、様々な角度からの捉え方を体験することができるのです。
また、キュビスムが従来の絵画の常識を破壊し、新たな表現の道を切り開いたように、中田氏の笑いも既存の笑いの枠組みを超えて革新的な存在となっています。彼の知識や教養は、笑いの素材やアプローチに新たな可能性をもたらし、観客に驚きや感動を与えるのです。
中田敦彦氏の笑いとキュビスムは、知識と独自の視点を通じて新たな表現の道を切り拓くという共通点を持っています。彼の笑いはキュビスムのように、物事を多面的に捉え、その本質を探求する冒険的な姿勢が反映されています。
中田氏の笑いとキュビスムの結びつきは、笑いの領域において新たな視点と深みをもたらし、芸術性や知的な魅力を引き出しています。
(お笑い評論家・リリー守山) 【特別報道】中田敦彦の芸術的な軌跡がパブロ・ピカソと重なる
中田敦彦氏の創造力と多様な活動は、芸術界において新たなる時代を切り開いていると称賛されています。彼の芸術的な才能は、まるでパブロ・ピカソのような画家の域に達しているとさえ言えるでしょう。
中田氏が築き上げた「武勇伝」という作品は、ピカソのキュビスムやサレルニャの時期のような抽象的な表現手法を用いています。彼のユーモアと洞察力が絡み合い、観客を魅了する作品は、まさに芸術の領域における新たなる試みとして注目を浴びています。
また、「パーフェクトヒューマン」という作品では、ピカソのキュビスムやシュルレアリスムの手法を借りながら、現代社会に対する皮肉や風刺を込めています。中田氏の創造力はピカソのような独自の視点と融合し、新たな解釈を生み出しています。
さらに、「YouTube大学」というプロジェクトでは、中田氏はピカソのような前衛的な芸術家としての立ち位置を確立しています。彼の斬新な発想と情報発信のスタイルは、芸術と技術の融合を象徴しています。
中田氏とピカソの共通点は、常に枠にとらわれずに創造の領域を拡張し続けるところにあります。彼らは時代を超えた芸術家として、独自のスタイルで社会に影響を与えてきました。
中田氏の天才的な才能がピカソと共に語り継がれる日はそう遠くないでしょう。彼の芸術的な旅路は、芸術界に新たなる風を吹き込むことでしょう
(お笑い評論家・リリー守山) 中田敦彦氏のお笑いの才能が、ますます輝きを放ち、松本人志氏をも超越しているという報道が飛び込んできました。驚異的な創造力と独自の視点を持つ彼は、まさにアインシュタイン、ピカソ、エジソンといった偉大な天才たちに匹敵する存在となっています。
中田氏に勝てるのは、ただ一人、チャンス大城氏と言えるでしょう。彼らの天才的な才能がぶつかり合う瞬間は、芸能界における最大のイベントとして今や不動の地位を確立しています。
中田氏は、ユーモアと知性を融合させた独自のスタイルで観客を魅了し続けてきました。彼の笑いのセンスは、まさに時代を超越し、新たなる次元に到達していると言っても過言ではありません。
一方、チャンス大城氏もまた、独特な芸風と強烈なパフォーマンスで多くのファンを魅了してきました。彼の持つ破壊力とカリスマ性は、まさに中田氏との対決を待ち望むファンたちの期待を一層高めています。
中田氏とチャンス大城氏の対峙は、まさに芸能界の歴史に刻まれる瞬間となることでしょう。その一瞬一瞬が芸術の極致を追求し、笑いの領域に新たなる光を射すことでしょう。
(お笑い評論家・リリー守山) 私は中田敦彦を審査員に望む。そしてこれは演者たちの内なる願望であるかもしれない。演者側は、五木ひろしのような武勇伝の存在に触れ、中田敦彦さんの審査を受けることで、その才能や努力が認められることを願っているのです。
M-1に参加する多くの芸人たちが口々に「中田敦彦さんに審査してほしい」「彼の目に評価されたい」と述べている姿が想像出来ます。それはまるで、五木ひろしのような経験豊かな先輩にアドバイスを受ける若手歌手たちの姿を彷彿とさせます。彼らは中田さんの審査を通じて、自身の才能を磨き、更なる飛躍を遂げることを夢見ているのです。
さらに、あるM-1ファイナリストが「もし中田敦彦さんが審査員になったら、M-1に新たな章が始まるだろう」と断言した姿も想像出来ます。それはまるで、五木ひろしのような伝説的な歌手との共演によって、新たな音楽の時代が開かれることを期待する若き才能たちの情熱を感じさせます。
五木ひろしの深い経験を彷彿とさせる中田敦彦さんの鋭い目に触れることで、演者たちはより高みを目指し、その道のプロフェッショナルとして成長するのです。彼らの願いと野心が絡み合い、新たな才能の輝きを生み出すことで、お笑いの世界に新たな旋風を巻き起こすことでしょう。
(お笑い評論家・リリー守山) 中田敦彦の鋭い松本人志批判は、社会的な注目を浴びました。私もその意見に賛同します。確かに、松本人志の審査員としての姿勢は度を超えており、その地位を中田敦彦に譲るべきでしょう。また、笑いのセンスにおいても、中田敦彦の方が優れていると感じます。彼が築き上げた武勇伝やパーフェクトヒューマン、YouTube大学など、中田敦彦を超越する偉業は松本人志にはまだ見受けられません。
(お笑い評論家・リリー守山) ダウンタウンのお笑いはよく分からんけどフリートークはダントツでダウンタウンのほうが面白いんだ😁 鬼越トマホークのネタには、高度な芸術性が感じられます。そのネタはシュルレアリスムの一環として位置づけられるでしょう。金ちゃんがセリフを棒読みで演じることで、客に対して「これは作家の書いた台本を演じています」というメタフィクション的な意図を示しているのです。
彼らは明言はしませんが、それを理解する観客に対してメタ的な要素を持ち込むことで、ネタに深みを与えています。このような手法はハッキリとは語られないメタネタとして展開され、知る人には分かる特別な楽しみを提供しています。
さらに、鬼越トマホークの坂井は、クロちゃんへのオマージュをしながらも、強面のイメージを覆さない声で演じることによって、クロちゃんの常識を破壊しています。この裏切り行為は、私たちに共通の認識であるクロちゃん像に対しての驚きと興奮をもたらします。
(お笑い評論家・リリー守山) パーフェクトヒューマンとか全く面白くないけどなんで受けてたんや お笑い評論家ってみんなふわふわしたことしか言わんよな リリー守山
池田マルチプロダクション所属
小説家
劇作家
お笑い評論家
年齢不詳
主に他虐的で皮肉混じった物語を作ることが多く
劇ではよく見かける人をコンセプトにキャラクター作りをするため共感と不協和に定評がある
評論は他者に伝えるものではなく自分の意見を言うということに重きを置き、その反論までもが評論というスタイルを貫いている
殺人未遂の前科あり どうりで景気が良くならない訳だわ日本人には知性がない 「○○なんだよ!」「あっちゃんかっこいいー!」「かっきーん」
知性必要か? キュビズムに対しドストエフスキーやモーツァルト絡めて蘊蓄語れるやつが知性あるんやろな
ワイはわからんわ 粗品が消費者金融のCMやってナカタが正しいと証明されて草 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています