ワイは嘘つきである←この命題は証明不可能なんやね
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ワイが嘘つきの場合
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“ワイは嘘つきである”は嘘でないとならん
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命題は偽
ワイが正直者の場合
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“ワイは嘘つきである”は正直でないとならん
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しかし命題は嘘つきを告白してる
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命題は偽 “ワイは正直者である”←これはどうか?
ワイが嘘つきの場合
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“ワイは正直者である”は嘘でなければならん
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命題は偽
ワイが正直者の場合
↓
“ワイは正直者である”は正直でなければならん
↓
命題は、“““真””” >>4
どうもしとらん なんか疑問あるか?
この話に 依了義経不依不了義経
(了義経に依りて不了義経に依らざれ)
nītārthasūtrāntapratiśaraṇatā na neyārthasaṃvṛtyabhiniveśaḥ コレを、めっちゃ、かみくだいて言えば
“否定ばっかする話から離れて
肯定する話をよりどころにしろ”ってことや >>15
ちょっと、YouTubeで
ゲーデルの不完全性定理の解説動画見てて
触発された >>1「自己言及のパラドックスていうのおもろいな!せやなんJにスレ立てたろ」 >>17
自己言及がパラドックス化するのは
自己言及の命題が“否定的”なときだけや それが、ワイの発見やし
仏教の依了義経不依不了義経の教えの通り だから法華経は該当しない
なぜなら法華経は肯定的だからや👍 >>18
当たり前やろ
じゃないと自己言及のパラドックスって言わないだろ 嘘つきは常に嘘をつくことを強制されているとも言える。
嘘つきが自分が嘘つきと自白することが、NGなのだろうか。 ワイが嘘つきの場合
↓
“ワイは嘘つきである”は嘘でないとならん ←まちがい!
嘘つきは全部嘘でなくても嘘つきだから
正直者でないことからイッチはうそつきである >>22
自己言及のパラドックスの文言だけじゃ
その命題は肯定的か否定的かは分からん 自己証明してるだけで、君が嘘つきかどうかと言う事実は存在するから客観的に見て命題は証明可能や
頭の悪い君に噛み砕いて言うとお前が勝手にほざいてるだけだろ死ねカス >>23,24
じゃあこう考えて欲しい
“この発言はこの人物の一生に一度の発言だった”と
ならどうする? >>29
ワイは、思う
一生に一度の発言なら
前例もないから、嘘つきか正直か
そもそも判断できない、と思う なら、自己矛盾を抱え込む発言するよりは
すっきりとドストレートで正直に生きた方がいい
これが答えや お前の場合は嘘というよりも思い込みから来る誤った情報の方が多いだろ ワイは23時間、嘘つきだったとする
1時間正直に生きたとする
その日のワイは嘘つきか?正直か?
ワイは思う、どちらでもあると >>33
否定から入ることで全ての答えを導き出せる いうまでもなく消去法が有効なのは
“答え”がどこかにある、という確信がないと無理や 答えが、どっかにあると
分かってる時点で、肯定やし了義
答えなんてない
としてる時点で、否定やし不了義 回路の話はよー分からんが、ぜんぶ1か0の話やろ
1が答えとするなら
1と0を切り替えられるって時点で 答えはある
了義や >>37
否定の否定は肯定というのが大事
NOT回路とAND,OR組み合わせると全ての論理回路を作れる
NOR回路はそれだけですべて代替可能 >>43
それは肯定があると最初から
分かってる、というか1と0だけの世界に
狭めているから成り立つ話では? >>1のスレタイの話なら
1と0の話でたとえるなら
1がそもそもない、0だけかもしれん
っていう不安要素が付きまとう話 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています