1700年ほど前、西暦300年前後には、秦氏(弓月氏)が120県=20万人の民を連れて山陰・北陸に上陸し、京都を埋め立てて新しい大和王朝を開いた。

 歴史というものは巨大な移民集団によって作られるものだ。もしも、中国から数百万単位のボートピープルがなだれ込んできたなら、日本の歴史は根本的に変化してしまう。

秦氏
はユーラシア大陸のかなり奥まった地域の出身で、
朝鮮半島を経由してやってきた渡来系氏族である。
秦氏は6世紀頃から断続的に朝鮮半島を経由して日本列島の倭国へ渡来してきた。
鉱山技術、鍛冶技術、養蚕、機織、酒造などの最先端テクノロジーを倭国に伝播させた氏族だ。

漢氏と並ぶ日本古代の有力な中国系渡来人の氏。
記紀の伝承では,応神天皇のとき,
である弓月君が多くの人民を率いて朝鮮から渡来し,養蚕,機織業をもって朝廷に仕えた。 この秦の民がしだいに豪族に所有され分散したので,雄略天皇が秦の民を集めて秦酒公(はたのさけのきみ)をその長官としたという。