大正12年(1923年)、関東地方は地震によって壊滅的な被害を被り民心と社会秩序がひどい混乱に陥ったことを受けて内務省は戒厳令を宣告し[2]、各地の警察署に治安維持に最善を尽くすことを指示した。

しかし、そのときに内務省が各地の警察署に下達した内容の中で「混乱に乗じた朝鮮人が凶悪犯罪、暴動などを画策しているので注意すること」という内容があった[3]。この内容は行政機関や新聞、民衆を通して広まり、朝鮮人や、間違われた中国人、内地人であるところの日本人(聾唖者など)が殺傷される被害が発生した。