【悲報】ヒトラーが美大落ちとかいう通説、嘘だった…正確には小卒→専門学校(職業訓練校)不合格
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退学後、リンツ近郊にあったシュタイアー市の実科中等学校の四年生に復学したが、前期試験で国語と数学、後期試験では幾何学で不合格となった。私生活でも下宿生活を送る中、学友と酒場に繰り出して酔った勢いに任せて在学証明証を引き裂くなどの乱行を行い、教師達から大目玉を食らっている[31]。結局、1905年には試験や授業を受けなくなり[53][要文献特定詳細情報]、病気療養を理由に2度目の学校も退校している[54]。
ヒトラーにとって唯一正式に教育を終えたのは先述の小学校のみであり、息子の学業に望みを持っていた父と結果として同じ経歴となった。 同年9月にウィーン美術アカデミーを受験した。当時のウィーン美術アカデミーは大学などの高等教育機関ではなく職業訓練学校であり、年齢制限や学歴などの条件が緩く、実科学校を途中で放棄したヒトラーでも受験が可能であった。前年の1906年にはヒトラーより一歳年下で後に画家として名を成したエゴン・シーレが工芸学校を卒業後、16歳で入学している。 しかし、ヒトラーの結果は不合格であった[61]。試験記録には「アドルフ・ヒトラー、実科学校中退、ブラウナウ出身、ドイツ系住民、役人の息子。頭部デッサン未提出など課題に不足あり、成績は不十分」と記述されている[62]。受験人数は113名[57]と少人数で、合格者も28名[57]と4倍程度の倍率で、極端に難関という訳ではなかった。試験内容は実技とこれまで製作した作品の審査からなっていたが、前述の通り頭部デッサンの未提出など、審査用の作品に不足があると判断されて不合格となった[57]。アカデミー受験に失敗した時に学長に直談判した際には、人物デッサンを嫌う傾向から「画家は諦めて建築家を目指してはどうか」と助言された[57]。ウィーンでの美術館巡りでは、建物自体の観賞を好んだと書き残すなど、ヒトラーも実際には建築物を好んでいて、この助言に大いに乗り気になったが、程なく画家よりさらに非現実的な望みであることを知って断念したと書き残している。 >>8
小学校卒業→中学中退→別の中学を放校処分→専門学校落ち ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています