0001風吹けば名無し
2023/03/02(木) 20:04:40.22ID:FD01+9ol0日本語の一人称って時代によって脈絡なくめまぐるしく増えたり減ったりしてるけど、これって例えばりんごを表す言葉が時代とともに
ぼばちょ(「ぴっぴちゃ」でも「おじんだ」でもよい)→だくげぴゃこ(「おひょ」でもよい)→りんご(フォーマルな場面では「あーえっひ」と言わないといけない)
って変化してるようなもので、言語学的にあり得ないと思う(言語学知らんけどちょっと調べた限りこんな変化してる言葉ない)
例えばヨーロッパの言語の一人称ってほっとんどが英語の"I"と明らかに語源が同じようなのばっかで要するに大昔から基本的にずっと変わってなかったってことで、
これりんごで例えると
りが→りご→りんご
になってるようなもので普通はこうなると思うんだよね
だから日本語で一人称って言われてるものって実は本当の一人称ではなくて
「今話してる集団の中での自分の立場」を表す一般名詞なんじゃないかって思うんだよね
"一人称"の変化をりんごを表す言葉で例えると
赤まる→しゃくしゃく→あまずっぱ
って変化してるようなものなんじゃないかって思う
実際語源を調べても「私」は「公」の対義語で個人を意味していたものがあるときから"一人称"として使われ始めたらしいし
「僕」は召使の意味だったらしい
(「俺」は2人称の「おのれ」の変化形らしいけど「おのれ」の語源は調べてもわからんかった)
あと親が子供と話すとき「ママ今日うんちしたよ」って言ったり
小学校の先生が生徒に「先生今日うんちしたよ」って言うように、
日本語って立場を"一人称"として使えるときがあるのもこの説の証拠になってそう
上の「僕」も「私」も、元は先輩と話すときに「後輩今日うんちしたよ」って言うようなものだったと思うんだよね