小学生の頃から習い事(主に勝ち負けのあるもの)をしていた。
高校は体育学科に入学し、部活動に専念。 無事3年間インターハイ、ほか数々の全国大会出場。
高校卒業後は、将来に向けてビジネス系の短期大学に入学。 その頃から異変は起きた。
自分語りなんだが、自分は目立ちたがりで気が強い人間だったから、小中学校では喧嘩をしたりとなにかと問題を起こすことがたびたびあった。
「〇〇(自分)が怖くて部活動をやめたい」という子も数人いたようで、そのたびに親に学校の先生から電話がかかってきていたみたいだ。
周りからは【気が強くて何にも動じない子】と思われていたし、自分も自分で肝っ玉が座ってるとは思っていた。
だけど、今思えばただの強がりで自分を大きく見せたかっただけだったんだと振り返る。
そんな面倒くさい自分だったが、親(特に母)が聖人すぎたんだ。
学校から電話がかかってきたり、部活で酷い試合(怒りながら試合)をしても、叱るどころか何一つ自分を否定することがなかった。
そんなことが続いた中学1年生のころ、家で母と二人きりの何気ない会話の最中に「一つだけお願い、人に優しくなってね」と言われた。
声は震えていて、見ると母は目に涙を溜めていた。
その時、自分は初めて母の泣いている姿を見た。
自分がこんな性格だから、母を我慢させ泣かせてしまったのだと酷く落ち込んだ。
そんな自分でも、唯一母を喜ばせられることがあった。
それは勝負に勝つことだ。
小学生から続けていたスポーツで勝つと、母は喜んでくれた。
習い事でやっていた算盤も、次々に級や段の資格を取得するたびに母は喜んでくれたし、ピアノもコンサートや大会で結果を残すたびに喜んでくれた。
その頃から自分の存在価値が【結果を残すこと】だと思うようになった。
冒頭でも話したが、中学で母を泣かせてしまった自分は部活で結果を残して母を喜ばせようと考え、県外の強い高校へ入学した。
成績はまあまあだったが、優勝もたくさん経験し賞状や優勝旗、カップ、メダル、トロフィーもたくさんもらった。
部活やピアノ、算盤でもらった賞状やメダル、トロフィーは実家に丁寧に飾られている。
(母が飾ってくれているみたいだ)
しかし高校を卒業するとともにスポーツも辞め、勝負事をする機会が一切なくなった。

その頃から自分の心は荒んでいき、急展開に自分でも驚くが、鬱になりパニック障害や広場恐怖症の病気になった。
理由を考えたが、思い当たることは一つだけ。
「勝つ経験がなくなったことで、自分の存在価値を示すものがなくなった」と思っていたのだ。
病気になりながらも、なんとか短期大学を卒業、就職し2年が経ったが今もなお病気は治らない。
やはり、人に勝つことでしか得られない満足感みたいなものを欲しているんだと思う。
学生時代にスポーツに打ち込み、現在引退している人なんてこの世にたくさんいると思う。
そんな人たちは、どうやって心の安定を保っているのかが知りたくてスレッドを立てました。
社会人は自分の存在価値をどのようにして示すのでしょうか。