エンタメの終わりが来た話をする
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物語でも音楽でもエンタメを楽しいと思う構造は案外単純だ
人間のクオリアを辿ること
クオリアというのは「赤を見たときに赤から感じるイメージ」として表現されることが多い
物語を読んだとき、絵画を見たとき、音楽を聞いたとき、その人がそれから感じ取るイメージ、それがクオリア
そしてそのクオリアの正体は、既にとっくに解明されている
本能と経験の集積による特定概念への複雑化したイメージだ 赤を見たときの人間の感覚など、本能と経験の集積が齎したもの以上ではないからだ
赤い美味しい食べ物を多く見てきた子供であれば、赤は美味しいものの象徴のイメージになる
赤と危険なものが結び付く環境にいれば、赤に対して不安感や恐怖を抱く
当たり前のことだ
人間が傾向的に本能と経験の集積によって特定の感性を刺激されるパターンを掴むこと
究極的にはそれがエンタメの答えの一つだといえる
これはビッグデータ分析やAI学習の最も得意とするものだ 安易にAIにエンタメが支配されると言いたいわけではない
ただ、機械的に量産可能なものに成り下がり、余計な要素が介入する余地がなくなりつつあるといっている
独創的な曲調や設定、デザインは、人の心に訴えかけられるものではない
何故ならクオリアの刺激される下地がないからだ
かつてのエンタメに幅があったのは、エンタメの解析が進んでいなかったからに他ならない
人は結局、何かの地続きのものしか愛せない
だからパロディやオマージュのなり下がりのようなパクリコンテンツばかりが世に台頭していく
かつての創作は魂を削るものだった
芸術は自身の人生を振り返り、その中で感じた最も美しいものを表現して、それを他者にも感じ取らせようとした
今はもう、そんな雑味の多いものは傾向的に勝ち上がれない
そのジャンルを好きな人間が「○○のようだ」と反応する記号を盛り込んで、オマージュだリスペクトだと謳った方が遥かに効率的で、効果的なアプローチだからだ
エンターテイメントに今後新しい要素が齎されることはないだろう
あらゆるエンターテイメントは、ただの繰り返される再生産の工業製品へとなり下がった 終わりの意味がわからんけど
エンタメがなくなるって話とちゃうんか ほーん
じゃあワイが好きな声優が下ネタ連呼するアニメ作ってくれよ エンタメが継続してたら結局それは終わりとは言えへんやん
アホやろ 終わるよ
一切の創作性や新規性を物語に持たせる意味がなくなるから、IPコンテンツとしての価値がなくなる
アーティストやキャラクター商法ができなくなる
どんどん価値が落ちていって、最終的には小銭稼ぎとして教科書通りに大量に生産されていくことになって、その後に完全に価値を失って終わる AIのせいで価値がなくなるんなら
人間の創作物の価値が高まるだけやん
文章長く書いてるくせに中身がない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています