努力の正体について考えてみた
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色々な要因はあるが、努力については「環境要因」が最も大きいと俺は考える
人間には報酬系がある
これは「報酬を与えられた一つ手前の動作を行う習慣がつく」というものだ
物凄く簡単にいえば「お金がもらえるかもしれないからパチンコ自体が楽しくなる」というもの
勉強や運動に対して才能があったり適切なコーチングがあると、「1」の努力に対して「2」以上の報酬が返ってくる
そうするとその人間は行えば行うだけ努力それそのものが楽しいサイクルへと陥る
じゃあ逆に「2」の努力に対して「1」しか返ってこなければどうなるか?
どんどんそれを行うことに対して意味や意義を感じなくなる
こうなると指導者からの叱咤や社会からの孤立といった、報酬ではなく罰符でしか動かなくなる
ではここで罰符による精神負荷を数値化する
「5」の努力か、「4」の罰符か
そう、あまりに環境が劣悪で本人にも才能がなかった場合、通常の環境では何も行わないことが報酬系の最適解になってしまう
仮に過度の罰符を与え続けて最低限の能力を与えても、それで創造的で生産的な人間になれることはない
無職やニート、甘え、無気力さ、「甘え」の正体とは本人の才能の無さと、環境の悪さによる機会損失によって生じるものだと考えている 脳内麻薬はニートでもドバドバ出しとるだろゲームとか
だからキルするんだろ? この程度の文章も読めない奴はそういう環境にいたんやろ >>4
それはそのゲームに対して報酬系が働いているだけなんだな 同じこと繰り返しても進歩するとは限らない
何も考えずに将棋を1万局差してもプロにはなれない もしもワイが超名門貴族に養子に出されたとて、努力するようには思えない。よって、遺伝依存性が高いやろ、と言える >>10
その先でバイト程度の多少の努力で周囲から尊敬されて、社会的にも認められて、金銭的な対価もいくらでも入ってくるとしてもか? こまけぇこたぁいいんだよ!!
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それを努力とは呼ばない気がするんよな
労働に対して金銭的対価や尊敬は確定ゲットできる物は努力とちゃうと思う
確定してない物に頑張れるかってとこが努力とちゃう
あくまでイメージやが >>14
感覚的にはそうだし、定義や想定状況においては「具体的な報酬がない状態」を想像するものだと思う
でも実際には努力できる恵まれた環境にいる人間は常にリターンや、或いはそのリターンが得られるという強い期待を受け続けているものだと俺は考える イッチは読み手にわかりやすく文を書く環境と才能がなかったんやな >>17
滅茶苦茶簡単に噛み砕いて書いたつもりやねんけどこれでも読めん人間おるんやな
参考にするから聞きたいけどどこで引っ掛かったんや? >>16
これ
やる奴は悪い環境に置かれたとしても逆にそれを糧に努力する 原因は自分が作り出すもの
やりたい奴はやる理由を見つけ、やりたくない奴はやらない理由を探している ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています