0001風吹けば名無し
2022/12/21(水) 17:54:42.75ID:pLNZq8Oa0斉昭は最後の将軍・慶喜(よしのぶ)の父で、「尊王攘夷」を唱える改革派を重用。藩校「弘道館」を開設するなどして藩政改革に取り組んだ。
見つかった書簡は、斉昭が幕府の海防参与の職にあった1853〜55年頃に書かれたとみられる。
「夷人(いじん)焼殺ノ件」と朱書きされ、黒船で江戸の手前まで乗り付けたペリーら米の使節を「墨夷(ぼくい)」と呼び、抹殺する案を詳細に書き付けている。
書簡で斉昭は「仕掛けをした屋敷に入れてしまえば一度に焼き殺せるのではないか」「江戸城内の大広間で上官らに酒をたっぷりと飲ませて頭をはね(中略)品川の辺りに待機したものには狼煙(のろし)を上げて知らせる。船中に残ったものも残さず切り捨てられる」といった計画を記している。