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フェルマーの最終定理の谷村志村予想の志村教授「数オリとか東大入試意味ないぞ」
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0001風吹けば名無し
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2022/11/08(火) 19:22:06.67ID:W/RaSpsd0
 「私は予備校で3年ばかり教えていたことがある。そこの予備校のやり方に従うことになって、各大学の数学の入試問題を随分調べた。すると技巧的で何かうまいやり方を思いつかないとできない問題がかなりあった」

 「有名大学でなくそれほど競争が厳しいとも思われない大学が特にそうであった。入試問題などというものは基本的知識の有無と理解の程度を調べればよいのである」

 「そういう問題を適当なレベルで作るのは案外難しいのかもしれない。まさか出題者が技巧的な問題を作って得意になっているわけではないとも思うが」(「数学で何が重要か」p.28-29)

 ここから見えるのは、志村さんの極めて現実的な数学教師、あるいはアカデミシャンとしての堅実な定見である。

 「入試に役立つ数学」など論外で、その先の人生に役立つ数学の基礎をしっかり見て取れれば、入試などというものは十分だという、実に真っ当な、建設的な観点が見てとれる。続きを引用しよう。

 「当時私が提案して東大の入試問題になったものをひとつ書いておく(中略)」

 「『一辺の長さ1の正4面体ABCDの辺ABの中点と辺CDの中点との距離を計算せよ』。普通に考えれば10分とはかからないだろう」

 「多分1960年頃である。そんな易しくてよいのかと思う人もいるかもしれない。しかし易しすぎて失敗だったという記憶はない。今でもこの程度で通用するだろう。ほかの問題もあるのだから。」(同書p.29)

 まさに定見と思う。入学試験というものは、実は、1点でも点をやりたいと思って作られるものである。その事実を社会はもっと普通に理解し、受け入れるべきと常々思っている。

 なぜか?

 逆を考えてみたらよい。すなわち、1点の点もやりたくない、とすれば、難問奇問、珍問愚問の類を並べ、受験生は軒並み0点の平野に死屍累々となることだろう。

 それで選抜試験として意味があるか?

 ない。少しでもきちんと建設的に思考し、解答に反映させることができれば、その分を評価する・・・。
0002風吹けば名無し
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2022/11/08(火) 19:23:01.31ID:W/RaSpsd0
数学オリンピックという特殊な競争ゲームに勝っても、またそれをマスコミなどがちやほやしたとしても、それはおよそ彼あるいは彼女のその後の生涯に直接「使える」ものではない、という事実を志村さんは淡々と指摘される。

 「試験場に行けばそこに問題が待っている。将棋大会に行けばそこに相手がいる。すべて受動的である」

 「ところが数学の研究者になるというのは自発的なものであって、しかもその自発性を持続させなければならない」

 「金メダリストになることはできてもそのような自発性がなければどうにもならない。そういう意味で数学オリンピックは真の意味の数学者の世界とは無縁である」

 同様のことは、アスリートのオリンピックにも言えるし、筆者の領分である音楽をはじめとする芸術にも完全に当てはまる。

 競争に勝つというのは、すでに解答が準備された温室のトラックレースで要領よく立ち回ることに過ぎない。新しいものを何か作り出す、本当の意味で歴史を開拓するのに「使える」ものでは全くない。
0003風吹けば名無し
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2022/11/08(火) 19:23:32.40ID:CkM+yois0
ほんならTerence Taoより業績あげてもろて
0004風吹けば名無し
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2022/11/08(火) 19:30:03.42ID:QP/9fM6dd
入試で行われるのは社会的選抜であって学問的な意味はあまり無いんやな
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