個人主義(自由)と全体主義(競争)の間で揺れるワイ
個人主義→個人の自由を尊重→競争に参加しない自由
全体主義→全体(社会)にとって有益な人材(奴隷)の育成が目的→競争させる

なぜ競争させるのか
人間に階級を意識させるため
なぜ階級を意識させるのか
社会を効率よく回すため役割(仕事)を分担させるのが目的

つまり学校の育成する人間の目標、社会にとっての有益な人材とは「競争で良い結果を残す人間」というより「競争によって実は選ばされた仕事をもくもくとこなす人間」であるということ。

競争で良い成績を残せなかった弱者は「自己責任論」で誰もやりたがらない仕事を押し付けられる。でも、弱者はすんなり納得する。なぜなら競争に負けた自分が悪いと自己責任論を信じ込んでいるから。

最近習った安倍公房の「鞄」みたいなもんや。
自分がルートを選んでいるようで、実は鞄がルートを決めている。

学校は、社会はワイらを人間扱いしてない。自発的に競争(入試)で自分の人生を勝ち取ったかのように思えるが、結局は「この学歴だったらこの仕事につける」という競争という体の抽選を押しつけられてるにすぎない。こういう面では資本主義のほうがよっぽど社会主義してる。

資本主義の本質は、社会の本質は「階級」。競争はそのためのツールでしかない。

マルクスはそれを否定した。
だから滅びた。