1975年、横浜市に教員として採用される。
1988年には文部科学省の在外教育施設派遣試験に合格し、フィリピンのマニラにある日本人学校へ赴任。このときから買春を始めた。
1991年に帰国し、市立中学校に教諭として着任したが、以降もフィリピンへの渡航・買春を26年間続けていた。
2008年から2011年までは校長を務めた。

2015年4月8日、児童買春・児童ポルノ禁止法違反(製造)の疑いで神奈川県警に逮捕された。容疑は前年1月にマニラのホテルで13~14歳の少女3人と淫らな行為をし、その様子をデジタルカメラで撮影したというものなのだが、これは氷山の一角にすぎなかった。

家宅捜索の結果、26年にわたって買春したフィリピン人女性の写真を収めたアルバムが見つかり、その数は410冊、合計およそ14万7600枚にも上った。高島は「思い出にするため」と女性をカメラで撮影し、ひとりひとりに番号を振って保存しており、最後の女性が12660番であった。このほか「我が秘密の生涯編」と題したノートに記録を残していた。

調べに対し「仕事のプレッシャーが強く、倫理観のたがが外れたときの解放感を味わった。」「女性は14歳から70歳くらいで、うち1割は18歳未満と思う。」と供述し、1日に10人以上を相手にしたこともあったという。
2015年12月、横浜地方裁判所において懲役2年、執行猶予4年の判決が言い渡された。