【動画】生きたまま乳房と性器をくり抜かれた美少女
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女性や子供たちはパニックに陥り、「トモダチ!友達です、私たちは友達です!」と叫んだ[96]。ドイツ人クラブのマルティン・オハウス(Martin Ohaus)は、ドイツが日本と同盟を組んでいることを材料に避難民のことを考慮してくれるよう日本軍の士官を説得しようとしたが、士官はオハウスを突き飛ばして足蹴にした[96][注 2]。赤子を抱えた母親たちは命乞いをしたが、海軍兵士らは銃剣で赤子を突き刺し、地面に叩きつけた[96]。そして女性たちの髪を掴み、強姦し始めた[96]。20人を超す海軍兵士たちが13歳に満たない外見の少女を輪姦した上、少女の乳房を切り取り、そのうちの一人が自分の胸に切り取った乳房を押し当てて女の真似をし、他の兵士たちはそれを囃し立てた[96]。海軍兵士たちは他複数名の女性も強姦した挙句、髪にガソリンを撒いて焼いた[96]。また、同じ現場ではロペスの使用人の一人 Bernardino Calub も当時2歳の息子を竹槍で突き殺され、下手人に仕返ししようとして袋叩きにされた挙句連行されたロペス邸跡のガレージの柱に縛り付けられ、性器を切断されて口内に突っ込まれた[96]。ロペスは母カルメン(Carmen)と別れてクラブを脱出する決断をし、弟のホセ(Jose)や隣人のホアキン・ナバロ(Joaquin Navarro)と共に逃げ出すが、ロペス以外の2人は撃たれて倒れてしまった[96]。ロペス自身も左足を撃たれるが死んだふりをして兵士をやり過ごした[96]。姉マリア(Maria; 当時40歳)はクラブからの脱出に失敗して焼死し、義姉フリア(Julia; 当時28歳)は日本軍兵士に輪姦され、乳房を切断、髪にガソリンを撒かれて焼かれ、知人の女性も殺害後に死姦された[96]。 エルミタ地区では、フィリピン人に加えて、居住していたヨーロッパ系の住民なども避難を開始していた。そのような状況であった2月9日に、日本軍によって住民がファーガソン広場に集められた。集められたのはフィリピン人の他にも、同盟国のドイツ人やイタリア人、中立国のスペイン人、ロシア人などのヨーロッパ系白人も含まれていた。日本兵は集めた住民に「アメリカ軍はどこにいる」、「ゲリラのメンバーか」など尋問したのち、午後7時か8時ごろ、男たちだけのグループと女性・子どもたちのグループに分けられ、女性と子供たちのグループは広場の近くにあるベイビューホテルに収容されたが、そのなかから、イギリス人、トルコ人、スペイン人、イタリア人の若いヨーロッパ系白人女性を中心に20数人の女性が選抜されてホテルの近隣にあったレストラン「コーヒーポッド」に連れていかれると、数日間に渡って繰り返し多数の日本兵から性的暴行を受けることとなった。暴行を受けた女性のなかには少女も多数含まれていたが、その最低年齢は11歳から14歳まで証言によって食い違っている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています