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数学、物理学、天文学、哲学 ← どれが一番ムズイ?
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0001風吹けば名無し
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2022/10/02(日) 23:42:25.73ID:u7JaM+VA0
数学かな?
0002風吹けば名無し
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2022/10/02(日) 23:43:04.10ID:XrIahEvD0
数学>>物理学>天文学>>哲学
0003風吹けば名無し
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2022/10/02(日) 23:44:14.60ID:tpZnxzalM
哲学
0004風吹けば名無し
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2022/10/02(日) 23:44:15.51ID:O2VPWcLQ0
どれも高度だと思うけど
数学だけは天才しかムリやろ
0005風吹けば名無し
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2022/10/02(日) 23:44:59.57ID:JXqcgkHc0
哲学
0006風吹けば名無し
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2022/10/02(日) 23:46:50.15ID:sFd/fEQH0
哲学は誰でもできるやろ
0007風吹けば名無し
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2022/10/02(日) 23:47:56.18ID:ZxYtO9rKa
哲学はもう役目終えてるやろ
0008風吹けば名無し
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2022/10/02(日) 23:49:11.60ID:XrIahEvD0
哲学

「徳とは何か?」という問いがある。これについて「不知なる対象の探求は不可能だ」と説く立場(探求のパラドックス説)もあるが、これに対してプラトンは「学習は想起(アナムネーシス)である」との想起説によって、このパラドックス説を斥ける。想起説は、魂は不死だとする説と、輪廻転生の説と連関がある。

プラトンは次のように説明する。

我々の魂は、かつて天上の世界にいてイデアだけを見て暮らしていたのだが、その汚れのために地上の世界に追放され、肉体(ソーマ)という牢獄(セーマ)に押し込められてしまった。そして、この地上へ降りる途中で、忘却(レテ)の河を渡ったため、以前は見ていたイデアをほとんど忘れてしまった。だが、この世界でイデアの模像である個物を見ると、その忘れてしまっていたイデアをおぼろげながらに思い出す。このように我々が眼を外界ではなく魂の内面へと向けなおし、かつて見ていたイデアを想起するとき、我々はものごとをその原型に即して、真に認識することになる。
つまり、真の認識とは「想起」(アナムネーシス)にほかならない、と言うのである。

想起説が導入されることでプラトンの哲学は、劇的な展開をとげ、強固な二元論の立場となった。そしてphilosophia(=愛知)とは「死の練習」なのであり、真の philosopher(愛知者)は、できるかぎりその魂を身体から分離開放し、魂が純粋に魂自体においてあるように努力する者だとした。この愛知者の魂の知の対象が「イデア」である。

イデアは、それぞれの存在が「何であるか」ということに比較して、「まさにそれであるところのそのもの」を意味する。
0009風吹けば名無し
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2022/10/02(日) 23:49:18.05ID:vjbD2wr80
どう考えても物理学と哲学やろ、比べ物にならんで
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