女が差別される←他の女が騒ぐ 男が差別される←男におもちゃにされる
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「大体私は女ぎらいというよりも、古い
頭で、「女子供はとるに足らぬ」と思って
いるにすぎない。
女性は劣等であり、私は馬鹿でない女
(もちろん利口馬鹿を含む)にはめったに
会ったことがない。事実また私は女性を
怖れているが、男でも私がもっとも怖れる
のは馬鹿な男である。まことに馬鹿ほど
怖いものはない。
また註釈を加えるが、馬鹿な博士もあり、
教育を全くうけていない聡明な人も沢山
いるから、何も私は学歴を問題にしている
のではない。
こう云うと、いかにも私が、本当に聡明な
女性に会ったことがない不幸な男である、
という風に曲解して、私に同情を寄せてくる
女性がきっと現れる。こればかりは断言して
もいい。しかしそういう女性が、つまり一般論
に対する個別的例外の幻想にいつも生きて
いる女が、実は馬鹿な女の代表なのである。 「女性は抽象精神とは無縁の徒である。音楽
と建築は女の手によってろくなものはできず、
透明な抽象的構造をいつもべたべたな感受性
でよごしてしまう。構成力の欠如、感受性の
過剰、瑣末主義、無意味な具体性、低次の
現実主義、これらはみな女性的欠陥であり、
芸術において女性的様式は問題なく「悪い」
様式である。私は湿気の高い感性的芸術の
えんえんと続いてきた日本の文学史を呪わず
にはいられない。」 女は子供のほかに何ものも生むことができない。
男は子供のほかのあらゆるものを生むことができる。
創造と生殖と繁殖は全く男性の能力であり、
女の受胎は育児の一部分にすぎない。
これは言い古された原理だ。
女の嫉妬は創造の能力に対する嫉妬である。
男の子を生んだ女は、これを育てることに、
男性の創造の能力に対する甘い復讐の喜びを味わう。
女は創造を妨げることに生き甲斐を味わう。
贅沢と消費の願望は、破壊の願望である。
いたるところで女性的本能が勝利を占める。
はじめ資本主義は男性の原理であり、生産の原理だった。
ついで女性の原理が資本主義を蝕んだ。
資本主義は奢侈的消費の原理にうつりかわり、
やがてこのヘレナのおかげで戦争がはじまった。
遠い将来には共産主義も女に滅ぼされるだろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています