なろう「研究職を追放された物理の天才がトレーラーの運転手をやりながらスローライフ」
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全国初の「17歳の大学生」になったが…早熟だった「物理の天才」が、いまトレーラー運転手として働くワケ
https://news.yahoo.co.jp/articles/eb93d1a82d7bf4b2e2dfdfe97e4df2147f736f10
■千葉大学が全国で初めて導入した「飛び入学制度」
1998年1月、佐藤和俊さんの人生は、一変した。
「飛び入学 3人合格」
当時、高校2年生だった佐藤さんには、新聞の見出しが面はゆかった。
「科学技術の最先端を切り開く人材を育てたい」と、千葉大学が全国で初めて導入した飛び入学制度。「高校に2年以上在籍した特に優れた資質を持つ17歳以上の生徒」に大学の入学資格を認めるもので、中央教育審議会がこの前年6月に制度化を答申していた。
合格者3人のうちの1人に選ばれた佐藤さんは、17歳の春、「大好きな物理の勉強に没頭できる」と意気揚々と大学の門をくぐった。
あれから22年。佐藤さんは今、大型トレーラーの運転手となって、夜明けの街を疾走している。
(略)
■研究者としては「食べていけない」現実
しかし、初任給を受け取った佐藤さんは目を疑う。
「え、手取りが15万円?」
就職した前の年、中学の同級生だった妻・裕子さんとの間に長女が生まれていた。
学生時代の奨学金の返済に加え、郊外に借りたアパートの家賃や通勤のための車の維持費もかかる。
ご飯と、おかずは1品にして食費を切り詰めた。月に1回、千葉の実家から米やレトルト食品を送ってもらうだけでは足りず、知人に野菜を分けてもらったり、カップラーメンで済ませたり。ギリギリの生活だった。
仕事はやりがいがあった。専門知識を生かしてベンチャー企業と偏光カメラも開発した。だが、「食べていけない」現実はつらかった。
この時、佐藤さん25歳。企業の研究職で良さそうな求人を見つけても、面接に行くための新幹線代すら工面できない。家族で実家に戻り、古巣の千葉大に非常勤講師などのポストを分けてもらいながら、予備校の講師もかけもちした。
1年、また1年と契約更新を続ける日々。「来年も契約してもらえるだろうか」という不安は年ごとに募った。もっと安定した研究職はないか、社会保険を心配せずに暮らせないか――。 ■「世の中には、プロを目指してもなれない人はいる」
30歳を超えて2年が過ぎた時、千葉大の仕事が切れた。ここで佐藤さんは、周囲が驚く決断をする。
「世の中には、プロを目指してもなれない人はいる」
学生時代、車好きが高じてアルバイトとしてトレーラーの運転手をやっていた。大型免許とけん引免許は持っている。現実を受け入れよう。
2013年の春、研究者の道に見切りをつけ、運送会社に就職した。
「もう少し踏ん張れば、道が開けたかもしれないのに」。大学の指導教員だった山本さんは、惜しくてならない。しかしその一方で、こんな思いも抱えている。
「今の日本では、1年2年という、先の見える小さな実験で結果を出さなければ研究職に就けない。佐藤君はもっと大きなところ、『海のものとも山のものとも分からない』という世界に興味を持っていた」
大きな視点ゆえに科学者になれないとしたら、何という皮肉だろう。
■「研究の道に未練はない。でもやっぱり物理が好き」
トレーラー運転手の仕事に専念してから、今年で8年目。
佐藤さんは正社員として家族3人が暮らせる給料をもらい、4年前に千葉県内に一軒家を購入した。週末には、ささやかながら外食もできる。妻の裕子さんは「好きなことができていればいい」と温かく見守る。
研究の道に未練はない。でもやっぱり物理が好きで、教えるのも好きだ。だから今も、知り合いの子供の家庭教師を引き受けている。
2月中旬。中2の男子生徒の家で理科の勉強をみた。学習書には電気抵抗の公式が載っているが、「ぶっちゃけ、この公式なくても解けるよ」と伝える。
「頭を整理すれば、知っている計算で解けるんだよ」とアドバイスすると、生徒は自分で計算を進め、正解を導き出した。「すごいセンスあるね」とほめると、「ぼくも天才になれるかな」と照れ笑いが返ってきた。
もし研究の仕事があれば、たぶん続けていたと思う。でも考えても仕方がない。今は、与えられた積み荷をしっかりと目的地に運ぼう。
「ブレーキは『パスカルの原理』とか、車の運転って結構、物理に関係あるんですよ」。朗らかに笑って、佐藤さんは今日も大きくハンドルを切る。 政治とコネを駆使して短期に金儲けできるのが研究者というならまあ無能なんだろう 中卒で阪神に入団したピッチャーも大成しなかったし
こういうのよくない面もあるなあと思うわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています