江戸時代って馬車無かったの?
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江戸時代の馬ってクッソ短足で暴れ馬で非力やったからそこまでの力なかったらしい
知らんけど あのカゴって結構小さいから中も狭いだろし
中で体勢もあんま変えられなさそうだから乗り心地とかあんま良くないだろな
暫く乗ってノビするがてらちょっと降りて歩いたりもしてたんだろな
知らんけど タイムスリップものの小説で馬車用意したら殿様に驚かれるんかな? 結構昔の話やから記憶が曖昧やけど確かに俺も乗ったこと無かったような https://intojapanwaraku.com/wp-content/uploads/2021/05/6haragyoukou.png
平安時代にすでに牛車とかはあったから
技術的な問題ではなく政治的に禁止してたってのが本当のところだろ
船も外洋に出られないようにマストの数とか厳しく制限してたし ただでさえ金かかるのに馬なんか使ったら予算オーバーするからとか聞いたけどほんまなんやろか >>11
馬車、戦車は春秋期にはあったはず
ただ日本は地形的に沼沢地と山ばっかりだからおそらく伝わった時点で滅んだ。本格的に来るのは明治の頃で国道≒馬車通せる規格で想定してた >>15
馬の餌代やら馬の世話係でコスト増えるのは確かやろな >>17俺もそう思うわ
街中以外は峠道とか獣道的な形が多くて馬車が通れるように全然舗装されてなかったから実用性無かったんだろな >>20
少なことも3世紀以前の人口の分布見たら、船の方が圧倒的に運べるからな 馬車のメリットは何なの?笑
明治初期にあれだけ馬車事故起きてて軌道馬車になったのに頭悪すぎでしょ?習わなかったの?笑
そもそも「馬は暴れる」からこそ萬国共通で口とって引くのにゆとり馬鹿すぎだろw >>21
暑さ寒さ、下り上りに弱いのにメリット皆無なのになんでこんなアホスレが21世紀になっても立ってるのかほんま意味不明
音どころか派手な色見ただけで怯えたり暴走するのにね、馬って繊細すぎるのよ 逆に馬車が市民レベルで使われてたのって西欧ぐらいやない >>23
笑えるわ
村で村民と同数いるとこもザラのザラなのになんでそんな適当なこというかな~馬鹿は
そもそも明治以前の馬の飼料ですら知らないのに「貧困百姓」のレッテル貼ってる教育が終わってるわけだけども >>3
戦国時代では甲冑きた人間載せてたのに籠引けんとかある? >>29
市民レベルで使われてるはずねえだろ…w
アメリカ開拓時代が異常なだけで、あそこはほぼ平原で土質も硬いから成立してただけや言うのよ 参勤交代なんて御上が諸大名に金使わせるためのもんなんやから馬車とか使わせたくなかったんやろ >>3
あのさ、5尺くらい南部馬なんかが江戸期の軍馬わけでさ、駄馬農耕馬でも非力なんてどこにも書いてないわ
大丈夫?笑
https://i.imgur.com/gJhdANg.jpg
南部馬甲斐馬なんかの軍馬が西洋馬との品種改良で「絶滅」したのも和馬特有病の克服がメインなだけでね、そういうのを知らない戦後の白痴が好き勝手適当なこと言ったのが原因だし君が悪いわけではないけど…寒いわ…w
こんな147くらいのマレンゴと同格の金華山号ですら義經の愛馬より小さいのにとにかく馬鹿しかいないな >>35
あのね、レファレンスなんてそのへんの司書が適当書いてることが7割以上だね
本郷みたいな門外漢の人でも農耕馬駄馬以外の和馬の屈強さくらいは知ってるはずだし、数に関しては「村方文書」や明治期の統計に腐るほど出てくるのよ
まだちょんまげ帯刀だらけの明治5年あたりの調べてみたらいいよw
村単位で統計でてるし、にんしきかわるとおもうから
そとそも百姓の家なんて「4つ間」が定格だけど竈の数なんて2~3つあるけど、大体ひとつは「馬用」だからねw 殿様も乗り心地を重視してカゴに入っていたのかもしれん >>38
強烈に好戦的な和馬をわざわざ去勢してないのが明治天皇の偉いとこよw
当時の軍馬は知っててもわざと去勢してないけど、相手の馬に噛み付いていくからw >>43
白痴からしたらキチガイに見えるのかな?相当な糖質キチガイガイジすぎやろお前w 文面からID変えたの丸わかりで草
単芝なんて今どきお前くらいだよ 乗物と呼ばれる駕籠に乗れるのは大名等の特権階級だけだと聞いたことがある
大名の家老クラスでも江戸市中では駕籠に乗らなかったとか
実用性というより自らの権威を誇示する目的があったんじゃないか >>15
奈良時代から江戸時代までの日本の馬は上から下まで大体同じの食べてるのよw
夾竹桃だの激毒草多いし放牧も限定的にならざるを得ないからね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています