論理的誤謬、whataboutismの魅力
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Whataboutism(ホワットアバウティズム[1]、ワットアバウティズム[2]、ワタバウティズム[3])は、論理的誤謬にあたる論法の一種。自身の言動が批判された際に、“What about...?”(英語で「じゃあ○○はどうなんだ?」の意)[1]というように、直接疑問に答えず、話題をそらすことを指す[4]。 冷戦時代に用いられたソビエト連邦(ソ連)のプロパガンダの手法(英語版)であり、ソ連が西側諸国から批判された際、決まって西側諸国における出来事を挙げて “What about...?”(––こそどうなんだ?)と返答することから名づけられた[6][7]。 自分の意見すら言わずに批判しかしてこないやつに対して使うのは当たり前定期 具体例
性暴力被害の話に対して「冤罪もあるだろ、それはどうなんだ!」というように返す[3]。
ブラック・ライヴズ・マターに対して、「アジア人差別や、ときには白人差別の問題だってある」と論点をずらす[11]。 イッチはキチガイなん?
こんな時間にこんなスレ立てて ロシアの侵攻はクソ←ウクライナのナチはどうなんだ?
これもそういうことか
国連憲章2条4項に違反してるロシアを正当化しようとしてる 卑近な例やと、小学校で悪いことした奴が「○○君も悪いことしてたのに何で俺だけ怒られるんだよ!」って言うのとかやな
他にどんな悪いことしてる奴が居ても追求されてるのは自分や これを突き詰めると先に相手を攻撃したものが勝ちになった不毛なんよね >>6
日付変わってからずっとなんJに張り付いている君はどうなんだ?
これもwhataboutism >>9
別にそれもおかしくないし
現にえこひいきする教師はおるしそれは問題やからな 現在のWhataboutismに含まれる論法の起源は古く、新約聖書の「罪の女」における「あなたがたのうちで罪のない者が最初に彼女に石を投げなさい」というイエスの発言に表われているように、「真に潔白な者だけが他人の非を咎めることができる」というルールを採用すれば誰も他者を責められなくなるということは古代から知られていた[10]。 >>14
これってイエスが誤謬してるってことやんな? Aに「Bお前、他人を誹謗中傷するなよキチガイ豚野郎早く死ねよゴミ」
って言われたらBは「そうですねAの言うとおりです」ってなるか?
ならないやろ?
少し考えればわかること >>12
今やってるのは悪いことの追求と叱責やからな
教師のえこひいきは別の機会に追求すればええんちゃう? 最近やと統一教会の件で「じゃあ創価学会はどうなんだ?」ということやろね >>17
じゃあ黙って特定個人だけ責める教師をその場は見過ごせと
とんでもないな 要するにこれって自分がどれだけクソなことをしていても他人を攻撃させろ
自分がクソなことをしてることについては攻撃してくるな
ってことなんよな >>19
それとこれとは別問題って話や
その場じゃなくなったら追求すればええやん >>18
別に創価は
日本は"エバ国家"で「サタン(悪魔)の国」であるとの反日教義が教えられている。また、エバ国家である日本のLGBTや同性婚、夫婦別姓は「共産主義」とされ、認めさせてはならないと説いている。文鮮明の教え(教義)の一つとして、文教祖の恨(ハン)を晴らすのは「エバ国家日本をアダム国家韓国の植民地にすること」「天皇を自分(文鮮明)にひれ伏させること」としている。
なんて教えちゃうしな
どことっても同じ括りに出来ないやろって毎度思うわ >>21
その場で追及してはいけない理由って何?
「現行犯」なんやから格好の場面なんやけど
攻撃されたくないから以外の理由ないよね >>18
俺たちは統一教会を追求するからお前等は創価学会の追求を頼む!としかならんよな
統一教会について言及してる人が創価学会にも言及しなきゃならん理由なんかない >>23
他者を引き合いに出して自分に対する批判を有耶無耶にするのが目的なのがあかんのやろ
結果として批判ポイントを1つも解消できてないのがアカンからwhataboutismをやめて1つずつ問題を解消していきましょうって話なんちゃうの
目的は問題解消であって問題点の羅列ではない 政治家が30人の宴会場で酒池肉林を楽しみながらYouTubeで
「あ、コロナやから国民は飲み会は4人以下な」
って発信して「そうですねコロナだから仕方ないですね」
って思えるやつがどれだけいるかって話やな >>27
いや
それはともかくで話題帰ればええだけやん
1ターンしか離せないの? >>26
批判を返された側がその批判を有耶無耶にする論理がスレタイのそれやろ
批判を返された側に正当な理由があるなら
「いえ、私はこういう理由でやってるんです、あなたは違いますねよ」
って反論すればいいやろ ID:TZ2h0x0c0の主張の方に妥当性があるように感じるが 別に必ずしもそれがアカンとは限らんやろ
正も不もない用語なのに語源から悪い印象つくのはしゃあないかもしれんけど違和感あるわ >>9の例でいうと例えばA君とB君が「遅刻」して教師がB君だけ叱ったとする
そしたら当然B君は「A君も遅刻したのになんで僕だけ?」ってなる
そこで教師が正当な理由があるなら「いいえ、A君は病院に行ってたから仕方ないの」って返せばいい
正当な理由がなくえこひいきしてるのに「今はA君関係ないだろ!Bのことを叱ってるんだ!」って言って
そんな教師が信頼に値するかってことや >>33
誤謬って言っとるけど悪い意味ではないんかこれ 他者の問題点をあげつらうことは別に悪いことでもなんでもないけど、自分に向いてる批判の矛先ずらしするのは不誠実ってだけの話や
批判に対してやるべきは自分は正しいという反論か過ちを認める反省のどっちか >>30
whataboutismで提示されてるのは問題に対して別の問題を指摘して有耶無耶にしてる点やぞ
さっきから君が挙げてるのは同じ問題かつ批判者も同じ問題を抱えてる時のみやん >>36
不誠実ってのは根底に批判されてるやつはごめんなさいごめんなさいしないといけない
っていう私刑思想があるからやろ
例えば裁判みたいな公正な場では例えば会社の不正で社長が「業界の慣習やった」って弁明すれば
情状酌量の要因として認められることもあるし >>27
コロナだから仕方ないね
それはそうと政治家の資格がないから辞めろ
で普通の人は納得するのでは これを詭弁扱いは無理あるやろ
おまいう
の四文字で終わるやん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています