中島は当時、所属していた事務所からの独立や、親との金銭トラブルも抱えていたという。
「親がすごいお金の亡者で。芸能界の人、よくあることなんですが、それが大変で、(送金を)止めたらすごい怒ってきて」。

さらに「打ち明ける人もいないし、前からずっと仲いい人には親ともめてるって話をみんなにしたんですよ。会社にもしてたし。厄介なのでごめんなさいと。それは自分の責任でもあるから、自分の家の人だから。私が悪いだけだったらいいけど…」。

しかし、洗脳騒動については「友達が悪いってなっちゃって。(世間の声は)“私がかわいそう。友達が悪い”ってなって。友達にとっては青天のへきれきで」と説明した。

洗脳の元凶とされてしまった友人は、一般人という立場。
そのため、中島は「出てきてしゃべれる機会がなくて」と説明し、「一方的にうそを勝手に作られて、キャラを作られて、“どうしていいか分かりません”と(話していた)」と、友人の苦悩を代弁した。

中島はその後、大分へ移住した。
「今回この期間、みんなと離れていた期間って、友達とも“絶対負けねえぞ”と思って。だって、うそだから。全部うそだから、うそを芸能界の人を絶対信じないと思ってた」。

その後、「各社、きっちり裁判して勝ちました」と、虚偽の報道については全て裁判で勝訴、勝訴的和解を勝ち取ったと報告した。

勝俣州和が「裁判で勝ったなんて、今知らされているから、あの時のうそを世の中の人は今、信じているわけじゃないですか?」と話すと、中島は「もし知らない人がいるなら、まるまる違う話だったので」と言い切った。

https://news.yahoo.co.jp/articles/f0c87539b64e13952ccfbfea9b4f4036f20cdc4e