結局のところ生きづらさが形成された理由ってなんなんや?
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結局その生きづらさが形成されたのって
サラリーマン主義(勤め人主義)が台頭したからなのか
科学技術とかインターネットの発達とかのおかげで便利になった代わりに個人に求められる能力や広範囲の能力が必要になったからなのか
単純労働とか一次産業が衰退したからなのか
インターネットが発達して生きづらさを訴える人が増えただけで昔からそういう生きづらさを持っている人がいたからなのか
それとも昔は寿命が短くて生きることに精一杯だったから生きづらさを持つこと自体ができなかったからなのか
どれなの? 生命維持が容易になって他人との比較をする余裕が出来たからや 自由ゆえに何にでもなれる可能性がある時代だからこそ、今の自分は自己責任になってしまうのが辛いな
昔は人生の選択肢なんてなかったのに 生きづらさってつまり人間関係が上手くいかないだけやろ 明治より前は生き辛くなかったのかっていうとそうでもないだろうし
その辺ちょっと抽象的すぎる 他と比較してた頃が一番生きづらかった気がする
SNSとかあったらドツボにはまってたと思うわ 両親みてると昭和の頃はよっぽど生きやすかっただろ
今はなんでこんな生きづらくて劣等感感じるんだろ >>12
それはないで
昭和は弱者は弱者として振舞わないといけない人生やで
陽キャならともかくなんj民にとっては不遇の時代や
今の方が明らかに生きやすい なんj民みたいな非力陰キャはカースト上位にイジメられて生きてたのが昭和平成やぞ
社会的にそれを許すまじとした風潮の現代の方が生きやすいに決まってるやろ
昭和平成生きた陰キャとか死ぬほど惨めな学生生活過ごしたんやぞ 近代で思い浮かぶ分睡蓮は2つオウム以降の宗教忌避2003小泉竹中新自由主義
特に小泉竹中真っ只中に起きたイラク人質自己責任論で
親先輩上司地域国宗教個人にしろ組織にしろ
力が上な何かに力が劣るものが頼る縋る拠り所に力っが上なら助けるってマインドが
悪しきと完全に刷り込まれてちょっと困った事になった時も頼る
頼っていいという発想が失われた東日本大震災の時行政の人ボランティアの人が
戸惑ってたのが明らかに困ってる人なのに助けてとは言ってこないという事だった >>13
弱者として生きて周りもそれを受け入れてくれるんだから楽やろ
今は弱者は侮蔑の対象だからな 生きづらさの素って、他人の幸福や成功をマウントと見て勝手に劣等感に浸る性根の腐りやろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています