天智王政府は無能であった。

645年。中大兄皇子(後の天智王)は、全方位外交を志向していた開明的な蘇我氏を排し政権を奪取する。
そして新政権は旧来の百済一辺倒外交を再開し、反動に陥ってしまう。

結果、時勢を読めず百済救援へ前のめりになって唐新羅連合に喧嘩を売り、案の定派遣軍は鎧袖一触で惨敗。

必死に掻き集めた3万の大軍が海の藻屑と消えた。
当然求心力を失った朝廷は部民復活(甲子の宣)等々その場しのぎの豪族懐柔策に走り中央集権国家の夢から後退。
大陸からも唐の将軍『郭守敬』率いる2000人の謎の大軍団が上陸し居座る有り様。


天武天皇がクーデター(壬申の乱)を起こす以前の倭国は崩壊分裂寸前。どん詰まりであったのだ。このままだったらいつ新羅に征服されてもおかしくない