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【驚愕】アルバイト弱者男性「YouTubeでもやってみるか…」
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0001風吹けば名無し
垢版 |
2022/08/12(金) 17:24:25.64ID:mMS4ib8pr
2008年に新潟県立新井高等学校を卒業し、上京。
その後、東京都内のスーパーマーケットに勤務しながら生計を立てていた。
なお、当時は自分の銀行口座を持っていなかったため貯金はなく、親から渡された2万円のみで上京した。
勤め先のスーパーには社員寮があり、毎月の給料から家賃が引かれるため住む場所に困ることはなかった。
それからは、夜の社員寮の浴室や自室などで安いマイクを使ってビートボックス動画を何回も撮影し、その中で完璧に上手く出来たと思えるものを厳選し、月1・2本ずつ動画をアップロードしていた。
0002風吹けば名無し
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2022/08/12(金) 17:25:05.32ID:mMS4ib8pr
YouTubeパートナー(広告収入を得るシステム)に申請したこともあったが、当時は却下される。その出来事をきっかけに、「YouTube側からオファーされるようになってやる」と考えるようになり、視聴者側の視点に立った動画作りを心掛けるようになった。
上京から2年程は特に大きな出来事は起こらなかったが、徐々に閲覧数が増えていき、当時一番伸びていた動画で約20万再生だった。当時の日本ではまだYouTubeの知名度が低く、殆どが海外からの閲覧で日本からの閲覧は1・2割程だった。
0003風吹けば名無し
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2022/08/12(金) 17:26:25.01ID:mMS4ib8pr
2011年6月に日本で「YouTubeパートナーフォーラム」が開催される。当時は動画を投稿して生活するという考えさえなかったが、当イベントでアメリカのYouTuberであるミシェル・ファンに出会い、彼女の演説に感銘を受けたことが転機となり、本格的に動画投稿を始める。
その後、「YouTube NextUp 2011」という受賞者は10組、賞金が200万円のコンテストが開催されチャンスが訪れる。当時、チャンネル登録者数が日本で1位だったため、周りからも受かるだろうと思われていたこともあり「これで会社を辞めて、YouTubeに専念できる」と自信を持ってコンテストにエントリーするも、結果は落選となった。
屈辱的な挫折を味わったその後、YouTuberへのアドバイザーの仕事をしている佐藤友浩に相談を求める。そこで、動画作りの基本をまとめたハンドブックをもらい、個別にも沢山のアドバイスを受ける。自身でも、国内外のトップクリエイターの動画を研究し、タイトルやサムネイルなどの編集スキルを真似していった。そうすること3ヶ月程、気づいたらYouTubeからの収入が会社員の給料を超えていたという。
0004風吹けば名無し
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2022/08/12(金) 17:26:52.37ID:mMS4ib8pr
2012年にはスーパーの仕事を退職し、動画の投稿を通じた広告収入で生活する道を進むことになる。
会社員時代については、「好きなことを仕事にできていなかった事から辛かった。でも、『僕はただのサラリーマンじゃない。動画を作って、海外からもたくさん見られてるんだ』という意地のおかげで、仕事も続けられた。」と語っている。
0005風吹けば名無し
垢版 |
2022/08/12(金) 17:28:07.15ID:lKbYyf6g0
クッソ成り上がったのすごいわ
同じ日本人男として誇らしい
0007風吹けば名無し
垢版 |
2022/08/12(金) 17:30:56.65ID:2FyM7FkT0
これもうレジェンドだろ
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