あの8月12日から37年?……。
乗員乗客524人中520人の命が奪われた日本航空123便の墜落。単独飛行機事故では世界最多の死者となった。
夏休みで帰省する家族が多く乗った羽田発伊丹空港行きは、群馬県・御巣鷹山(おすたかやま)の尾根で発見される。
著者の飯塚訓(いいじま・さとし、当時48歳)は遺体確認捜査の責任者として、127日間にわたりその悲劇の真っただ中にいた。
すべてのご遺体を遺族のもとへ。その一心で団結した医師や看護師、警察官たち。だがそこには
誰も味わったことのない極限状況があった──。
いまなお読み継がれる『新装版 墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便』。いつの世も数字だけでは
伝えきれない、悲嘆、怒り、そして号泣が止まらない記録を特別掲載する。
第4回目には、外国人の犠牲者についても綴られている。遺族の悲しみに浅深の差はないが、韓国人、
アメリカ人、イギリス人と宗教によって死生観が異なることを著者は知らされる……。
*掲載記事に登場する人物の肩書・年齢は当時のものです。


https://news.yahoo.co.jp/articles/9e6db238c0dbaf4c989dfbea1af54f795eb1e89d