0001風吹けば名無し
2022/08/04(木) 23:08:26.12ID:FV/AONOkM19世紀中ごろ、センメルヴェイスが勤めるウィーン総合病院では産褥熱の発生数が多く、産婦の死亡率も高かった。
センメルヴェイスは産褥熱の発生数を調査し、1847年、産科医が手を消毒することで劇的に産婦の死亡率を下げることが出来ることを発見した。
センメルヴェイスは手洗い法が死亡率を1パーセント未満にまで下げられる科学的な証拠を数多く示したが、この方法は当時の医学界に受け入れられず、むしろ彼に怒りを示したり嘲笑したりする医師さえいた。
1865年、センメルヴェイスは神経衰弱に陥り、精神科病棟に入れられた。そしてここで衛兵から暴行を受けた際の傷がもとで、47歳にして膿血症で死去した。
しかし彼の死後数年を経て、ルイ・パスツールが細菌論を、ジョセフ・リスターが消毒法を確立し、センメルヴェイスの理論は広く認められるようになった。