ワイの生死の哲学を見てくれ
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生の定義:自我実体の経験が認識可能な状態
死の定義:非生
これに基づけば出生とは死から生への逆転
"死ぬ"とは生から死への逆転
そもそも出生の特質からして死した自我実体の行く末は生への逆転か無限の死
無限の死は非生の永遠なんだからそこに時間、空間等の一切の感覚はなく無だ
生へ逆転する場合、それに至るまでの過程は死であるのだから時間的に言って無、現生の言葉で表すなら一瞬である
以上のことからして我々は無限の出生を繰り返す、自我実体は死を経験するもののそれの認識は不可なのだから、そう思わざるを得ない宿命なのである
※自我実体魂なり霊魂なり仏教的に空だったり各自好きな言葉で想定してくれ 同じ人生を無限回繰り返すのか
すべての生物の人生を無限回繰り返すのか 自我実体って言葉がわからん
言い換えてくれ
自我実体の経験が認識可能ってのも意味わからん
言い換えてくれ 時間とか順序とかがあてはまらない(無い)状態に
突入する可能性もあるんやない?
時間とか順序とかってワイらが現世の現象を見て
勝手に概念として名前つけとるだけやし >>5
自我実体は主観を超越して想定したからずっと同じ人生を経験するとは断定できない >>8
それは自我でいいんじゃないの
自我実体ってなんや? >>6
二人の生を経験したとしてそこに普遍の実体、存在を想定したんや
認識できないものは存在しないって言うならそんなものはないってスタンスで言い >>13
自我実体って二人の生を経験したとしてそこに普遍の実体、存在を想定したものなのか?
>>1でそれを読み取れるやつおるんか? >>12
転生を想定してくれ
記憶を受け継げるなら同一の自我と言えるな
自我実体は死をも経験する
だから想定だからそれを空や無が存在するとか、そもそも存在しないとみなしてもいいな
とにかく真理は死が認識できない以上記憶が断絶するだけで永遠に生きなければならぬということ >>10
ずっとぼんやり考えてたことを初めて言語化してみた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています