湾岸戦争で日本人人質解放
1990年(平成2年)8月2日、当時サッダーム・フセイン政権下のイラクが突如クウェートに侵攻(湾岸危機)。イラクは日本を含む国際連合からの非難や制裁措置を受け、当時クウェートにいた日本人41人などを事実上の人質としてイラクに連行・国外移動禁止処分にする。

政府間の人質解放交渉は難航したが、猪木が12月1日にイラクで「平和の祭典」を行うことを発表。外務省はこれに難色を示したが、猪木は個人で費用を負担してトルコ航空機をチャーター、関係者や人質被害者41人の家族46人と共にトルコ経由でバグダードへ入った。このイベントの開催後に、在留日本人と全人質が解放された。

これを追い風に、その後1992年(平成4年)7月の第16回参議院議員通常選挙でも1議席を獲得[42](参議院会派で2議席目)した。