三島由紀夫の女性蔑視、ホモの嫉妬だった
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「大体私は女ぎらいというよりも、古い頭で、「女子供はとるに足らぬ」と思っているにすぎない。
女性は劣等であり、私は馬鹿でない女(もちろん利口馬鹿を含む)にはめったに会ったことがない。
事実また私は女性を怖れているが、男でも私がもっとも怖れるのは馬鹿な男である。まことに馬鹿ほど怖いものはない。
また註釈を加えるが、馬鹿な博士もあり、教育を全くうけていない聡明な人も沢山いるから、何も私は学歴を問題にしているのではない。こう云うと、いかにも私が、本当に聡明な女性に会ったことがない不幸な男である、という風に曲解して、私に同情を寄せてくる女性がきっと現れる。
こればかりは断言してもいい。しかしそういう女性が、つまり一般論に対する個別的例外の幻想にいつも生きている女が、実は馬鹿な女の代表なのである。」
「女性は抽象精神とは無縁の徒である。音楽と建築は女の手によってろくなものはできず、透明な抽象的構造をいつもべたべたな感受性でよごしてしまう。構成力の欠如、感受性の過剰、瑣末主義、無意味な具体性、低次の現実主義、これらはみな女性的欠陥であり、芸術において女性的様式は問題なく「悪い」様式である。私は湿気の高い感性的芸術のえんえんと続いてきた日本の文学史を呪わずにはいられない。」
「私は芸術家志望の女性に会うと、女優か女声歌手になるのなら格別、女に天才というものが理論的にありえないということに、どうして気がつかないかと首をひねらざるを
えない。」 三島の女性蔑視は行動や発言といった外面的要素に欠け、まるで女性に乗り移り女性本人の立場から自らの世界の見方に関する反省を述べているかのようである
実のところ、三島が女性蔑視の文脈で語る女性とは、三島自身の女性と共通する側面のことである
三島は自らも女性と何ら変わらぬ側面を持っているはずなのに、女性ばかりが男達の寵愛を受ける現実に憤懣遣る方のないコンプレックスを抱いていた
自分と女の何が違うというのだ、私だってこうなのになぜ男達は女ばかりを愛するのか
三島の女性蔑視はそうした怒りの虚しい発露である 確かに言われてみればそうやな
自分のことのように内省的な書き方や >こればかりは断言してもいい。しかしそういう女性が、つまり一般論に対する個別的例外の幻想にいつも生きている女が、実は馬鹿な女の代表なのである。
草 この時代の文芸家なんて弱者男性多いやろな
太宰治なんてメンヘラだし 言い回しが面白いだけで何の根拠もないただの嫉妬と偏見でしかないな
ソースは俺レベル 夏子の冒険って女はこんなバカでも愛してもらえる😭っていう三島の嫉妬よな 本人が言う通りただの古典主義精神だと思うけど
深読みのしすぎじゃねえの 三島由紀夫激推しの谷崎潤一郎は女に踏まれて死にたいとか言ってたのに ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています