ワタミの社長の人生割と壮絶だな
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<母の死、父の事業の失敗。少年期に失った「心」と「財産」>
渡邉美樹は1959年に横浜市で生まれた。父親は中堅のテレビCM制作会社を経営していた。
渡邉は野球が大好きなごく普通のスポーツ少年だった。そのごく普通の恵まれた生活が一変したのは、渡邉が小学校5年生の時。最愛の母が慢性腎炎で36歳の若さで急逝したのだ。
母の死を境に渡邉は急に無口な少年に変わってしまった。またその不幸に追い討ちをかけるように、父の会社も清算する。原因はテレビのカラー化に遅れてしまったことだった。
この2つの悲劇を同時に経験した渡邉は、その悔しさから小学校の卒業アルバムに『おとなになったら会社の社長になります』と書いたという。渡邉は、少年期に「心」と「財産」という2つの大きな柱を失ってしまった。
また彼は「世の中の無常観」、「人間の命の儚さ」を痛感し、「自分は何のために生きるのか」ということを深く考えるようになった。渡邉は小学生ながらに、アイデンティティを失ってしまった己の存在意義を見出そうとしていたのだ。 外食産業で事業を興すことを決めた大学時代>
渡邉が大学時代に掲げた目標は2つ。1つ目は、何の業種で起業するかを決めること。2つ目は、社長としてのマネジメント能力を身に付けることだった。
まず1つ目の何の業種で起業するかは、結局、外食産業で起業することに決めた。そのきっかけとなったのが大学2年生と4年生の間で日本1周旅行と北半球1周旅行をしたことだった。その旅の経験から外食産業は人々を幸せにすると確信したのだ。
そして2つ目の目標であるマネジメント能力を身に付けるために、渡邉は横浜会という伝統ある県人会に入る。そこでマネジメント能力を身に付けた。伝統ある県人会なので、大勢のOBがいて、渡邉はその人脈を使って何か大きいことをしようと企む。渡邉はちょうど59代目の幹事長になり、そこで120人の学生を組織した。
それまで明治大学の横浜会は毎年5000人のコンサートを定期的に開催し、その収益が110万円くらいだった。もちろん収益金は全て寄付金となる。しかし渡邉の代ではOBの人脈をフル活用して1万人コンサートを開催することにした。150人の学生を組織し、必死になって日夜頑張った。そして結局1万2千人を集め、寄付金も最大の870万円を集めることに成功。
その後は明治大学の横浜会だけでなく、早稲田や立教などの横浜会にも呼びかけて、6大学合同の横浜会連盟を創設した。そして渡邉が初代の委員長になり、700人の学生を束ねた。
そこでは彼らを一つにするイベントを開催したり、神奈川県中の施設の子供を集めて、遊びの祭典を開催したりした。 <起業資金調達のため、佐川急便で過酷な労働>
大学卒業後は、会社経営に必要な経理の勉強をするために、ミロク経理という会社に入社する。ミロク経理は当時、急成長ベンチャーとして知られた会社だった。そこで半年間勤め、バランスシートの読み方を覚えると、次に起業資金を貯めるために佐川急便のSD(セールス・ドライバー)に転職する。
佐川急便の仕事は、月収43万円という高給だったが、その労働環境は過酷なものだった。一日の労働時間は20時間近く。さらに大卒の渡邉に対する風当たりも強く、先輩SDからのイジメが絶えなかった。
そんな状況下でも渡邉が決して逃げ出さなかったのは、「お金を貯めて会社を創る」という夢があったから。渡邉は1年間で、300万円という資本金を貯め、佐川急便を後にした。 1984年、24歳の若さでワタミ株式会社の前身となる有限会社渡美商事を設立。居酒屋チェーン『つぼ八』の店を買い取り、フランチャイズオーナーとしてのスタートを切った。そして渡邉が手がけた『つぼ八』は大成功。92年に『つぼ八』からのフランチャイズ契約を解除し、「豊かで楽しいもうひとつの家庭の食卓」をコンセプトとした自社ブランド『和民』を展開する。
98年には38歳の若さで、会社を東証二部市場に上場させる。その後も快進撃は続き、2000年3月に晴れて東証一部上場を果たした。また、地球環境の問題にも積極的に取り組み、99年に外食企業としては世界初となる※ISO14001を取得した。 話は変わりますが、最近ベンチャー企業の不祥事が多いですね。それについて、渡邉さんはどう思いますか?
ベンチャー企業というのは非常に難しいと思います。一度うまくいっても、それを継続するのが非常に難しい。うまくいった後にどうするかが大事です。うまくいくと、その起業家を周りがおだてるようになる。そして、次第に起業家の気持ちに緩みも出始めて、「うまくいっているんだから、これくらいのことは許されるだろう」と考えて、自分に対する厳しさがなくなっていく。こうなってしまうと、そのベンチャー企業の業績は下り坂になっていきます。
豪華な別荘を買ったり、自家用ジェットを買ったりするのは、それ自体は悪いことではないと思います。しかし、それによって自分に対する甘さが出てしまえば起業家としては失格でしょうね。うまくいっている時こそ、自分自身を律する。そういう厳しさが起業家には必要です。
― うまくいっても、自分を律することが“できる起業家”と“できない起業家”の差はどこにあるんでしょうか。
それはその起業家がどこを目指しているかの差だと思いますね。つまり、どこに起業家としてのゴールを定めているのかということです。
自分の私利私欲を満たすのがゴールなのか、それともより上位概念である社会貢献にゴールを定めているのか。
起業時の動機が“自分自身が物質的に豊かな生活をしたい”でもいいんです。
でも会社がうまくいって会社規模が大きくなっても、そんな動機のままだと会社は次第にうまくいかなくなります。
そこで気づかないといけない。物質的な豊かさ以上の価値が世の中にあるということを。もっと大切なものに気づく。
お金では買えない価値に気づかないといけないわけです。そこに気づけば、会社はより発展し、継続的に繁栄させることができるでしょう。 渡邉さんの場合はどうでしたか?
私も途中で、その大切なものに気づきました。私も起業したいと考えた当初の動機は、物質的な豊かさを得たいためでした。小さい頃、会社経営をしていた父の事業がうまくいかなくなり、裕福な家庭から一転、非常に貧しくなりました。そういった経緯もあり、物質的な豊かさへの憧れが私の中に強烈にあったんです。
しかし、大学時代に擬似会社のようなものを友人たちと運営して、徐々に考えも変わってきました。いろんな葛藤を通して、自分の中での考えが変化していったんです。自分の私利私欲のためだけに会社を経営していいのかと。
そして、ワタミが店頭公開するときに、個人で7億円もの借金をしました。株式上場をするにあたり、自分の持ち株比率を下げないように自社株を買う必要があったんです。その後、その7億円の借金を完済した時、私の物質的な欲はなくなりました。10代の頃から続いていたお金の呪縛から解放されたんです。今ではワタミを地球上で一番たくさんのありがとうを集めるグループにするべく、日々その理念に向かって努力しています。個人的な金銭欲はまったく無くなりましたね。 ― 渡邉さんが考える“起業家の条件”を教えてください。
第一に猛烈な欲を持っているかですね。成功する人は、みんな欲がすごく強い。また、その欲を自分だけに使うのではなく、世のため人のために使う人は大きく成功します。
起業して会社が伸びるにつれて、起業家の人間としてのレベルも上がっていかなければいけません。最初は、自らの強烈な欲を自分のために使っていた人でも、人間のレベルが上がっていくにつれて徐々に自分以外に対して使うようになります。最終的には自分の欲の全てを自分以外に使う人が起業家として大成するのだと思います。まさにマザー・テレサのような人ですね。企業が継続的に繁栄するには、トップである起業家の欲の使い方が大事です。継続的に繁栄する企業というのは、その起業家の欲に社会性が帯びています。
― 起業家が本物か偽物かを見極めるには、どこを見たらいいですか?
まず浮ついている人はダメですね。また周りの目を気にし過ぎる人も良くない。人からどう思われようとも、自分の価値観を大事にして固い信念を持っている人でなければ起業家は務まりません。自分に正直でいいんです。逆に自分に正直でない人は起業家としては厳しい。他人の評価ばかり気にする人は、起業家として大成しません。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています