0001風吹けば名無し
2022/06/04(土) 04:19:49.59ID:Y2lkxxwL0(1991年6月4日 朝刊 社会面)
「熱いっ、助けて」「水をくれ」――。3日午後、雲仙・普賢岳(長崎県島原半島)で起きた大火砕流は、死者1万5千人を出した200年前の「島原大変、肥後迷惑」の悪夢をよみがえらせる大惨事となった。押し寄せる火砕流、猛炎は次々と町をのみ込む。消防団員、住民が…バタバタと倒れて行く。自然の猛威の前に困難を極める救助活動。そして「住民、外国人研究者、報道関係者ら計32人が不明」の衝撃的なニュースも追い打ちをかけた。恐怖、焦燥……。深夜まで火炎に包まれた普賢岳ふもと一帯をにらみながら、小さな城下町は”灰熱地獄”と化し、火砕流パニックに包まれた。
午後4時すぎ。水無川上流から全身真っ黒に焼け、やけどにただれた皮膚をむき出しにした消防団員たちが次々と下りて来る。「助けて」。足元はふらつき目はうつろだ。仲間が駆け寄る。倒れかかるように抱きかかえられ、救急車に運び込まれた。救急車はサイレンをとどろかせ、県立島原温泉病院へ突っ走る。
猛熱で溶けた長靴、体中が灰に覆われてだれなのか顔、年齢さえ判明できない。「水を…」。言葉も途切れ途切れだ。
「赤茶けた煙のようなものが突然近寄ってきて一瞬何が起こったか分からなかった」。同市札の元町、農業の男性(52)は白谷町の知人宅にバイクで向かう途中に巻き込まれたという。 「長靴を近付けると飛び上がるように熱かった」と恐怖の瞬間を語った。
火砕流に加えて猛威を振るう火炎。夕やみをバックに、赤い炎がなめるように林から、集落から立ち上る。二次災害の恐れが出たため、消防団は出動禁止。「悔しか」。火炎への怒り、ため息が漏れるが、なすすべもない。