努力と環境なんて不可分のものなのに努力vs環境議論が盛り上がるの
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>>2
そもそも、努力しようという意志がなければ環境が環境としてたち現れたりはしないと思ってる >>4
この努力の意志も環境的要因によるものの可能性があって、そうして考えていくと努力←環境←努力←環境←努力←環境…って続いていくよ >>4
同じ学校通って東大受かるやつからFランさえ落ちるようなのまで出るしな どうせ抽象的な話するなら「才能」の2文字で終わりやろこんな話 >>6
その言葉の裏にはどの環境でも努力する気があるって大前提があるのが厄介やな >>12
その前提満たさないで今やるべきこと中途半端に投げ出して結果しょうもない末路辿る無能が多いんや 環境は意志の道具で、努力は意志の実践であるからコインの裏表の関係
それらを統べる人間意志の強さを肯定すればいいと思う >>3
外国語を覚える最も有効な手段は外国に住むことだろ?
環境を整えることも努力のうちに含まれるという解釈ならそれでもいい >>4
良い環境が与えられれば強い意志は必要ない
ゲーム感覚で遊んでれば自然と上手くなるのと同じ 純粋な努力による現状変更なんて存在せず、環境に恵まれたから成功している、もしくはそもそも努力が才能であって先天的な物なので、環境に恵まれた社会的な成功者は弱者を助けるべきっていうような主張もある
自分の現状が環境要因であることを認めるにしても、論理的に考えれば自分の力をどのように行使しようが個人の勝手であることは明白や
一方で倫理的に考えれば弱者を救うべきっていう考えは正しい
倫理の正しさを支えるのは何かっていうと、まぎれもなく人間の意志の強さなわけ
「全ては環境である」的なニヒリスティックな唯物論的諦念が人間意志の強さを肯定してくれる訳がないよね >>18
それを混同してるやつばかりなのが問題なんや >>19
どっちが先かっていうその議論は永遠に続くよ 人間の意志なんてものに頼るやつはバカ
結局長続きなんてしないよ >>22
どちらが先とかどうでも良くないか?
時と場合で変わるだろ
例えばお前が物心つく頃には既に与えられていた学校や本はお前の努力で勝ち得たものか?違うよな?環境が先に与えられたから自然と勉強したわけだ 物事の進みは 才能+運(環境)+努力 で決まる
でも才能も運も努力も見えないから、各々好きなように才能のおかげだ努力が足りないだ運が良いだけだって言うんやで
ただ、自分で変えられるのは努力の部分だけやからな >>26
いまそのような例を出した背景にはやっぱり教養や知識がほしい、手に入るような環境であってほしかったっていう考えが少なからずあったりするわけやろ?
意志によって環境が立ち現れるっていうのは、ようは前方に歩こうとすると、静止していた時には単なる風景だった岩が「障害物」として立ち現れるっていうことと一緒
どのような理想を思い描くか、何にむけて努力したいのかどうかによって、立ち現れる環境はさまざまに異なるということ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています