最近のちいかわの展開かなり哲学のディープな部分に入ってきてるよな
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未来を予知できる存在に「これからあなたは大変苦しむことになるから苦痛のない幸せな時間が永遠に繰り返されるようにしました」と告げられたちいかわが「時間は進まなければならない、繰り返されてはならない」という常識的な信念に従って拒否
その結果未来予知のとおりにちいかわは飢餓に苦しみ、さらにはモモンガという同族に殺され食われかけて恐怖に駆られている
これって功利計算上は時間を進めない方が良いことは分かっているのに「時間は進まなければならない」という常識的な信念を頑なに保護した結果地獄のような苦しみを味わうというストーリーによって常識的信念やそれを頑なに保護することへの問題提起になってるよな ちいかわは何の根拠もなく「時間は進まなければならない、繰り返されてはならない」という信念を保護するために論点先取的に「これからもっと良いことがあるはずだ」という期待で正当化したのかもしれない 「あなたはこれからメキシコマフィアに捕まって手脚を切断され殺されます、それが実現しないように今の幸せな家族と過ごす時間を永遠に繰り返すようにしておきました」
神からこう告げられたらお前らならどうする?
ちいかわと同じように拒否するか? また「決定論は成り立たない」とか「自由意志は存在する」とかいう信念もちいかわの選択を突き動かしたと考えられるよな 未来を変えるために何度も過去に戻るのかな…
ちいかわはほむらちゃんだった…ってコト!? もし世界が決定論的に動いていて自由意志が成り立たないなら「あなたはこれから苦しむ」と告げられたらそれを自らの意思で変えることは不可能だから合理的なら時間が繰り返されることを選ぶはずや それなのに予言者からの親切を拒否したってことはちいかわは「未来は変えられるしきっとこれからもっと良いことが起こる」と思ってた訳や あるいはちいかわは同じことが繰り返されることへの「飽き」が生じることを予感して飽きてしまったらこれからどんなことが起ころうとそれよりもっと悪いという功利計算を行ったのかもしれない イッチは哲学なんも勉強しとらんな いっぱい本読んだ方がええで 同じことが繰り返されれば必ず飽きるし飽きは苦痛だ(飽きへの苦痛)
時間が進めば悪いことが起こると予言されていても自らの意思で未来を変えれば飽きよりマシだろう(決定論の否定)
だからこれから酷い目に遭うと言われても時間が繰り返されるなんてあってはならない(時間反復の否定)
ちいかわの頭の中でこんなロジックがあったのかもしれない もしも決定論の否定という哲学上重要な主張が「飽きへの苦痛」という感情から正当化が要求されていたとしたら面白くないか? なぜ決定論を否定するのか
その動機はこれまで自由の正当化のためだと思われていた
しかし思考実験により「飽きへの苦痛」というより感情的な動機が考えられることが分かった ここから飽きへの苦痛を論じたパスカル論に接続できる訳や ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています