以下、本文。

女学生の身分だったときからそうだった。毎日不気味に斜陽が深くまで釘刺す街を、あてもなく、彷徨っていた。微かな隙間を彷徨い、そして染み出でる一雫の水滴の如く、それは人並みに流されながらも、僅かに醜い独尊性を保とうとしていたのだった。
童話のシンデレエラのように、生意気にも、こんな哀れな私を、きっと誰かが救ってくれると思いこんで、自堕落に過ごしてた。そのような気の迷いを求めるようになる頃、学校は途端につまらなくなってしまい、さぼりがちだった。
あの頃は、学校を休むようなろくでなしは、みんながみんな、等しくぐれていたように思う。少なくとも、私の知人には、喫煙や麻薬、売春など、それらの行為に身を染めている者は、微かながらもいたものだ。
私は法を犯すような、非行には走らなかったことだけが、唯一己の誇りにできることだった。

だが奇跡は起こり得てくれなかった。当然だ。
奇跡は努力を重ねた人間にのみ訪れてくれる。
毎日を自堕落に過ごしていた私は、奇跡という対価を受け取るに、相応しい努力を、積み上げてこなかった。捧げてこなかった。支払っていなかった。それは奇跡という存在が、配給米のように平等に分け与えられるものではなく、行動を起こした賢明なるものに与えられる、天からの祝儀であることの証明だった。
それをどうしても否定したかったが、私はいくじなしだった。とても饒舌な舌を持つ天に、私は敵わなかった。

私が学生時代に残した日記の数々は、今の私にとっては紙屑に等しく意味はない。だが今後、私のことを辿ろうと言う人が現れた時、私がなぜ、このように凋落のかぎりを尽くしているのか、知りたくなることがあるかもしれない。
これはそれが一目でわかるという、とても優れた記録だ。その人にとっては古事記や小田原記よりも価値のある代物であることは間違いないだろう。ああこれを燃やしてしまいたい。
だが、私には勇気がないのだ。それを捨てるという事は、自分が逃れようとしている過去と向き合い、捨てるという決意をしなければならないことを意味している。それはできない。
私は所詮、一介の腑抜けにすぎないのだ。

あんなもの、誰かが燃やしてくれればいいのに。

またそうやって、私は虚勢を張りながらも、誰かを頼りにしていた。