初代米国総領事のハリスと牛乳

1856(安政3)年には、初代米国総領事のタウンゼント・ハリスが来日した。ハリスは、まず日米和親条約の追加事項の交渉を行い、それが下田協約として締結されると、1857(安政4)年から日米修好通商条約の交渉を開始して1858(安政5)年に締結した。

 ハリスは、ヘンリー・ヒュースケンを通訳兼秘書として伴い伊豆下田の玉泉寺に赴任した。一躍開国の舞台になった小さな港町では、髪と目の色が違う「異人」をみて、生活習慣の相違に、人々が大層驚いた。彼らの滞在にあたり、下田奉行はもとより、江戸幕府の多くの要人が訪れ動揺しながら見守っていた。

 この中にあってハリスは、外交や貿易の仕事に異国で精力的に努めた。しかし本国との食生活の相違により精神的な緊張もあり、鮮血を吐いたり、消化器官の潰瘍で病弱であったりしたことで、牛乳を飲めない事が相当こたえた。そこで通訳の森山多吉郎を通じて下田奉行に「牛乳飲ませて欲しい」と強く要望した。

 当時の下田奉行・井上信濃守と岡田備後守により「牛乳の儀に付き滞留の官吏へ及び應接候書付」報告書を幕府に提出しており、以下は通訳の森山を通したハリスとのやり取りの一部である。