ワイ「古代アステカ文明?生贄やってるし古代ってついてるし紀元前やろなぁ」→500年前でした
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アステカ(Azteca、古典ナワトル語(英語版): Aztēcah)は、1428年頃から1521年までの約95年間北米のメキシコ中央部に栄えたメソアメリカ文明の国家。
室町幕府の頃にあんなに生贄文化やってたのか… 中南米あたりの文明の命の軽さはホンマヤバいで
神話からして
神A「ワイ自殺して太陽になるわ」→神B「少し輝きが弱いな……しゃーないワイが自殺して輝きアップや」
とかそういうレベルや >>205
ケツァルクァトル(白い蛇の神)が戻ってくる年に侵略してくるスペインサイドにも問題がある 我が国でも明治3年に人体の一部を薬として売買する事を禁ずる法令が出とるんやな ネイティブ・アメリカンって基本的には
性格と言うか思想が糞だからね
糞過ぎて奴隷としても使い物にならんかったから
大金出してイギリスから黒人を買ったんや アステカ族が来る2000年前からテノチティトランには大都市があったんやで
テオティワカンっていうやつ >>203
フランスベルギーあたり定期
実際にあったかは不明 ピサロとかコルテスがもっと優しい征服者やったら物語みたいに綺麗に収まったんやろけどな
現実は非情である、どこぞのイスラム国あたりとかもアレやしフランス革命もアレやし
やっぱ人間ってクソやな、族滅せんと・・・ テスカトリポカが酒に呪いをかけ、ケツァルコアトルに飲ませると彼は錯乱し、なんと自分の妹と契りを結んでしまうのだ。結果、アステカの地を追われることとなるが、この地を去るとき「私は、一の葦(あし)の年(セーアカトル)に戻ってくる」と約束する。これを今の西暦に当てはめると1519年になる。
これはもう歴史のいたずらとしか言いようがないが、ちょうどスペイン人がアステカを征服しに上陸してきた年なのだ。残念なことにケツァルコアトルは人の姿のとき、黒髪で白い肌をしていたようで、そのときのアステカ王、モクテスマ二世は、ちょうど「一の葦の年」でもあり、スペイン人をケツァルコアトルの化身と勘違いして、征服者を手厚くもてなすのである。 >>203
ケルト人の文化やからイギリスはほぼ無関係やで つい200年前まで斬首とか磔とかやっていたんだから欧米やジャップも大概やわ >>139
首都のテノチティトランは世界最大の水上都市やったらしいな >>213
アステカ族が自ら書き残した絵文書に周辺国からの聞き取りにアステカ族生き残りの聞き取りに実際に生贄が行われてた祭壇とそこに収められてる数万の頭蓋骨
くらいの証拠はあるけどな ケツァルコアトルが生贄を嫌う、白い肌、一の葦に戻ってくるとかいう説は後世の捏造説もあるらしい 生贄文化は14世紀だったかに大干ばつが来たとき、強化されたっぽい >>200
逆に敵対者を徹底的に族滅してきたから後々の禍根に繋がらなかったのかも知れん ちなみにスペインがどれだけ侵略行為を反省していないかというとうっかりペルーに友好の証としてピサロの銅像を贈ってしまうくらいや >>42
変な宗教を潰すには比較的合理的な宗教がええんやな テノチティトラン(現メキシコシティ)の近くに太陽のピラミッドと月のピラミッドのテオティワカンっていう都市があります
それも20万人程度居住してたと推定される巨大都市で紀元前2世紀〜紀元6世紀まで繁栄していたらしいですね
メシカ人、つまりアステカ人でありテノチティトランの住民は、彼らが北からテクテク歩いて定住する時既に無人になっていた巨大都市を神聖視しテオティワカンと名付け、同時に滅亡を予感させる遺跡に恐れを感じていました 日本でも江戸時代まで処刑された罪人の内臓や肉は薬として普通に流通してたり
火葬場の職員が横流ししたり、脳や内臓を狙った人員売買・連続殺人事件なんてもんが
江戸時代どころか昭和まであったからな
そういうもんは思ったより最近まで続いてるもんや >>199
意外と全滅してない氏族多いで
まあそもそも鎌倉武士は野蛮で天皇や公家は平和的みたいなのも偏ったイメージではある
天皇や公家も元々武士をけしかけて好き放題してたわけやし >>228
アメリカや他の様々なところにもコロンブス像建てられてるからへーきへーき
そら打ち壊されますわ ただ生贄が不幸だったかと言うと微妙なんよ
生贄にされる奴は神様に捧げる物だから
大事に育てられてたからな
飯をもくに食えずに餓死してたガキに比べたら絶対にマシだったんよ
苦行の顔で神様に差し出すのもダメだったから
最後は薬漬けにして痛みや苦しみを感じない状態で殺してた アメリカ大陸の文明が白人に滅ぼされなかった世界線ってどうなってたんやろな >>214
テオティワカンの時点ではあきらかに日本より上よな
自力で文字発明したってのもめっちゃすごいし中米なめたらあかんわ アステカの生贄の殺害方法とかバリエーションとか生贄に関する儀式の頻度とかはホンマ衝撃的
生贄の皮をはいでそれを着て踊るとかそういうのもあるし 台湾1900年代初頭まで首狩部族どうしで戦ってたらしいで >>114
石で無双してたら鉄と馬にボッコボコにされるの草 コルテス襲来時の皇帝モクテスマ二世はアステカ史上最も頭のキレる皇帝だったらしく、優れた法体系、これまでになかった固定化された身分階級を提案し国内を盤石にしていました
彼は巨大な船が沿岸に出没して略奪を繰り返してるとの報を受けていて東からやってくる未知の集団を非常に警戒しており、何度も追いつめようと一行が首都に向かってくる途中同盟部族に働きかけ罠に嵌めようとしていましたが、全て内通者から情報が漏れるか戦闘しても圧倒的火力、ユーラシアで鍛えられた戦術で敗北するなどして通じずアプローチを変えざるを得なくなります
首都にあえておびき寄せて30万人の人口で袋叩きにしようとしたわけですよ
しかしそれが裏目に出てしまったわけね ちなみにアステカ帝国の言語だったナワトル語は今でも存続していて話者が170万人いる
有名な単語だとカカオとかトマトとかがナワトル語起源 1910年(明治43年)の五箇年計画理蕃事業事施後の1915年(大正4年)以降、出草は激減する。
この出草が首狩り やっぱなんJってためになるわ
なんGとは大違いやね >>246
モクテスマ・ディフェンス聞いたことあるわ 案内されたコルテス一行
未開だと思っていたインディオの首都テノチティトランの荘厳さ、人口の多さ、規律の高い親衛隊にビビりました
もしかしたら我々はまんまと罠に嵌まってしまったのではないかと
袋叩きにされるんじゃないかと
そこで機転を利かせて状況を打開するため、コルテスはアステカ皇帝に謁見を申し込んだのです
皇帝らは歓迎します
しかしあろうことか、彼らは躊躇うことなく謁見の場で剣を抜き放ち銃を構え皇帝を瞬く間に拘束、傀儡にしてみせたのです
神の化身に対して、しかも神聖な謁見の場で卑怯にも刃を向けるなんて常識外でアステカ史上最も頭のキレる皇帝モクテスマ二世にとっても宮臣にとっても想定外だったのですね
ここからアステカ帝国は一気に崩壊していきます 他の動物少ないし主食のタンパク質含有率も低い地域は同族食ってタンパク質補給しなきゃ仕方ないとこあるから
宗教的にあーだこーだ理由つけて罪悪感消すのは許したれ
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