脱サラ農家ぼく「これでも農家やってます!」なんJ民「農家てw」ぼく「ちな年商8400万円www」
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
1日5-6時間ぐらい働いて年商8400万円
そこまで悪い仕事じゃないやろ多分 >>118
すまん、スレタイ確認したら8400万やったわ >>90
意味あるかないか判断するのはお前じゃねえよ
いいから晒せ >>88
超えるわけ無いやん
田舎の農家なんてそれだけで食っていけないから兼業ばっかやで
ニートの馬鹿は黙っとき 農家が本当に儲かるなら後継者不足になんかなってないわな >>129
介護なんかより農家行くわな
むしろ過疎化に悩んで自治体が、家も畑もプレゼント!とかやってるのに >>129
これ
儲かるって言ってる奴は果物で成功した極一部のケースしか知らないんや
普通の農家で専業なんてほぼいないな 単年度であることには変わりないのに年商出せて年収出せないって作るにしても破綻しすぎやろ 去年の夏に短期でトマトとかの夏野菜の収穫バイトしてたけどビニールハウスの中地獄すぎて正直もうやりたくないわ
親戚がやってる農業をゆるーく手伝ってたほうが身体的にも精神的にも楽って分かったわ 脱サラしたってことは土地から手に入れたって事やろうけど8400稼ぐのにどんだけ必要やねん 技能実習生の血と汗が染み込んだ大地で採れる野菜は美味いか? シャチガイジにマジになってレスするガイジって何考えてんの? しかも儲からない上にドカタよりもきつい肉体労働やからな
国はもっと補助すべきよ 地獄変
芥川龍之介
+目次
一
堀川の大殿様おほとのさまのやうな方は、これまでは固もとより、後の世には恐らく二人とはいらつしやいますまい。噂に聞きますと、あの方の御誕生になる前には、大威徳明王だいゐとくみやうおうの御姿が御母君おんはゝぎみの夢枕にお立ちになつたとか申す事でございますが、兎とに角かく御生れつきから、並々の人間とは御違ひになつてゐたやうでございます。でございますから、あの方の為なさいました事には、一つとして私どもの意表に出てゐないものはございません。早い話が堀川のお邸の御規模を拝見致しましても、壮大と申しませうか、豪放と申しませうか、到底たうてい私どもの凡慮には及ばない、思ひ切つた所があるやうでございます。中にはまた、そこを色々とあげつらつて大殿様の御性行を始皇帝しくわうていや煬帝やうだいに比べるものもございますが、それは諺ことわざに云ふ群盲ぐんもうの象を撫なでるやうなものでもございませうか。あの方の御思召おおぼしめしは、決してそのやうに御自分ばかり、栄耀栄華をなさらうと申すのではございません。それよりはもつと下々の事まで御考へになる、云はば天下と共に楽しむとでも申しさうな、大腹中だいふくちうの御器量がございました。
それでございますから、二条大宮の百鬼夜行ひやつきやぎやうに御遇ひになつても、格別御障おさはりがなかつたのでございませう。又陸奥みちのくの塩竈しほがまの景色を写したので名高いあの東三条の河原院に、夜な/\現はれると云ふ噂のあつた融とほるの左大臣の霊でさへ、大殿様のお叱りを受けては、姿を消したのに相違ございますまい。かやうな御威光でございますから、その頃洛中の老若男女が、大殿様と申しますと、まるで権者ごんじやの再来のやうに尊み合ひましたも、決して無理ではございません。何時ぞや、内の梅花の宴からの御帰りに御車の牛が放れて、折から通りかゝつた老人に怪我をさせました時でさへ、その老人は手を合せて、大殿様の牛にかけられた事を難有がつたと申す事でございます。
さやうな次第でございますから、大殿様御一代の間には、後々までも語り草になりますやうな事が、随分沢山にございました。大饗おほみうけの引出物に白馬あをうまばかりを三十頭、賜たまはつたこともございますし、長良ながらの橋の橋柱はしばしらに御寵愛の童わらべを立てた事もございますし、それから又華陀くわだの術を伝へた震旦しんたんの僧に、御腿おんもゝの瘡もがさを御切らせになつた事もございますし、――一々数へ立てゝ居りましては、とても際限がございません。が、その数多い御逸事の中でも、今では御家の重宝になつて居ります地獄変の屏風の由来程、恐ろしい話はございますまい。日頃は物に御騒ぎにならない大殿様でさへ、あの時ばかりは、流石さすがに御驚きになつたやうでございました。まして御側に仕へてゐた私どもが、魂も消えるばかりに思つたのは、申し上げるまでもございません。中でもこの私なぞは、大殿様にも二十年来御奉公申して居りましたが、それでさへ、あのやうな凄じい見物みものに出遇つた事は、ついぞ又となかつた位でございます。
しかし、その御話を致しますには、予め先づ、あの地獄変の屏風を描きました、良秀よしひでと申す画師の事を申し上げて置く必要がございませう。 豊作ならその分儲かるなら良いけどそうじゃないからなぁ 二
良秀と申しましたら、或は唯今でも猶、あの男の事を覚えていらつしやる方がございませう。その頃絵筆をとりましては、良秀の右に出るものは一人もあるまいと申された位、高名な絵師でございます。あの時の事がございました時には、彼是もう五十の阪さかに、手がとゞいて居りましたらうか。見た所は唯、背の低い、骨と皮ばかりに痩せた、意地の悪さうな老人でございました。それが大殿様の御邸へ参ります時には、よく丁字染ちやうじぞめの狩衣かりぎぬに揉烏帽子もみゑぼしをかけて居りましたが、人がらは至つて卑しい方で、何故か年よりらしくもなく、唇の目立つて赤いのが、その上に又気味の悪い、如何にも獣めいた心もちを起させたものでございます。中にはあれは画筆を舐なめるので紅がつくのだなどゝ申した人も居りましたが、どう云ふものでございませうか。尤もそれより口の悪い誰彼は、良秀の立居たちゐ振舞ふるまひが猿のやうだとか申しまして、猿秀と云ふ諢名あだなまでつけた事がございました。
いや猿秀と申せば、かやうな御話もございます。その頃大殿様の御邸には、十五になる良秀の一人娘が、小女房こねうばうに上つて居りましたが、これは又生みの親には似もつかない、愛嬌のある娘こでございました。その上早く女親に別れましたせゐか、思ひやりの深い、年よりはませた、悧巧な生れつきで、年の若いのにも似ず、何かとよく気がつくものでございますから、御台様みだいさまを始め外の女房たちにも、可愛がられて居たやうでございます。
すると何かの折に、丹波の国から人馴れた猿を一匹、献上したものがございまして、それに丁度悪戯盛いたづらさかりの若殿様が、良秀と云ふ名を御つけになりました。唯でさへその猿の容子が可笑をかしい所へ、かやうな名がついたのでございますから、御邸中誰一人笑はないものはございません。それも笑ふばかりならよろしうございますが、面白半分に皆のものが、やれ御庭の松に上つたの、やれ曹司ざうしの畳をよごしたのと、その度毎に、良秀々々と呼び立てゝは、兎に角いぢめたがるのでございます。 >>120
その7割が個人でやってるジジババなんや
規模小さくできる農業って他の仕事やりながらやったり体動かなくなったジジババが趣味でやったりしてるのも含まれるんやで?
とにかくジジババが趣味でやってる数が多いから平均とか当てにならんぞ >>145
ワイ実家とうほぐ農民やけどカーチャン1~3月全くなにもせんで
トーチャンは暇潰しに大学の冬期ボイラー室バイトやってたわ 所が或日の事、前に申しました良秀の娘が、御文を結んだ寒紅梅の枝を持つて、長い御廊下を通りかゝりますと、遠くの遣戸やりどの向うから、例の小猿の良秀が、大方足でも挫くじいたのでございませう、何時ものやうに柱へ駆け上る元気もなく、跛びつこを引き/\、一散に、逃げて参るのでございます。しかもその後からは楚すばえをふり上げた若殿様が「柑子かうじ盗人ぬすびとめ、待て。待て。」と仰有おつしやりながら、追ひかけていらつしやるのではございませんか。良秀の娘はこれを見ますと、ちよいとの間ためらつたやうでございますが、丁度その時逃げて来た猿が、袴の裾にすがりながら、哀れな声を出して啼き立てました――と、急に可哀さうだと思ふ心が、抑へ切れなくなつたのでございませう。片手に梅の枝をかざした儘、片手に紫匂むらさきにほひの袿うちぎの袖を軽さうにはらりと開きますと、やさしくその猿を抱き上げて、若殿様の御前に小腰をかゞめながら「恐れながら畜生でございます。どうか御勘弁遊ばしまし。」と、涼しい声で申し上げました。
が、若殿様の方は、気負きおつて駆けてお出でになつた所でございますから、むづかしい御顔をなすつて、二三度御み足を御踏鳴おふみならしになりながら、
「何でかばふ。その猿は柑子盗人だぞ。」
「畜生でございますから、……」
娘はもう一度かう繰返しましたがやがて寂しさうにほほ笑みますと、
「それに良秀と申しますと、父が御折檻ごせつかんを受けますやうで、どうも唯見ては居られませぬ。」と、思ひ切つたやうに申すのでございます。これには流石さすがの若殿様も、我がを御折りになつたのでございませう。
「さうか。父親の命乞いのちごひなら、枉まげて赦ゆるしてとらすとしよう。」
不承無承にかう仰有ると、楚すばえをそこへ御捨てになつて、元いらしつた遣戸の方へ、その儘御帰りになつてしまひました。 >>1
何作ってんの?
ワイの実家は栃木でイチゴ農家や 馬鹿「川上村のレタス農家は儲かる!実習生奴隷にしてるんや!(キャッキャッ」
世帯年収1000万円←え?しょぼくね?w じゃあワイはこないだマンション売ったから年商5000万か? 三
良秀の娘とこの小猿との仲がよくなつたのは、それからの事でございます。娘は御姫様から頂戴した黄金の鈴を、美しい真紅しんくの紐に下げて、それを猿の頭へ懸けてやりますし、猿は又どんな事がございましても、滅多に娘の身のまはりを離れません。或時娘の風邪かぜの心地で、床に就きました時なども、小猿はちやんとその枕もとに坐りこんで、気のせゐか心細さうな顔をしながら、頻しきりに爪を噛んで居りました。
かうなると又妙なもので、誰も今までのやうにこの小猿を、いぢめるものはございません。いや、反かへつてだん/\可愛がり始めて、しまひには若殿様でさへ、時々柿や栗を投げて御やりになつたばかりか、侍の誰やらがこの猿を足蹴あしげにした時なぞは、大層御立腹にもなつたさうでございます。その後大殿様がわざ/\良秀の娘に猿を抱いて、御前へ出るやうと御沙汰になつたのも、この若殿様の御腹立になつた話を、御聞きになつてからだとか申しました。その序ついでに自然と娘の猿を可愛がる所由いはれも御耳にはいつたのでございませう。
「孝行な奴ぢや。褒めてとらすぞ。」
かやうな御意で、娘はその時、紅くれなゐの袙あこめを御褒美に頂きました。所がこの袙を又見やう見真似に、猿が恭しく押頂きましたので、大殿様の御機嫌は、一入ひとしほよろしかつたさうでございます。でございますから、大殿様が良秀の娘を御贔屓ひいきになつたのは、全くこの猿を可愛がつた、孝行恩愛の情を御賞美なすつたので、決して世間で兎や角申しますやうに、色を御好みになつた訳ではございません。尤もかやうな噂の立ちました起りも、無理のない所がございますが、それは又後になつて、ゆつくり御話し致しませう。こゝでは唯大殿様が、如何に美しいにした所で、絵師風情ふぜいの娘などに、想ひを御懸けになる方ではないと云ふ事を、申し上げて置けば、よろしうございます。 ワイも家族経営+お手伝いって規模やけど
年商なら2億超えとるで >>163
イッチは年商の概念を知らないニートなんや
許してやってくれや… 毎日不祥事だしてる農協て日本の悪の組織そのものよな せっまい面積の畑にこれ以上やりようがないくらい労働力投入して収穫逓減の法則で
労働時間あたりの収入は最悪の部類で反収自慢
これが日本の農業
広い面積でそこそこ楽にすればええだけやねん >>164
おいテメエちゃんと証拠出しとるんやぞ何か反応しろや! 作り話なのでかかる経費いくらかわかりません言えばええのに >>153
だからなんや?
儲かるなら専業でやってる奴の割合が増えるやろ
増えてないからジジババが7割なんやろアホか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています