もうすぐ三食イモに、ゴルフ場をイモ畑に…国民は知らない「世界で最初に餓えるのは日本」という真実
https://news.yahoo.co.jp/articles/d0b6ff4173978e4019b8b9bf9b10f1ea18ccece3

「一日三食全部イモ」を本気で検討する農水省

 2022年4月19日に放送された、テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」は衝撃的な内容だった。有事に食料輸入がストップした場合、日本の食卓がどうなるかを農水省が示しているが、それに基づいて、三食がイモ中心という食事を再現して放送したのである。

 実際に食料危機が勃発した場合、政府は本気で「イモを植えて凌ぐ」つもりのようだ。ただ、現状、日本の農家はイモばかり作っているわけではない。そのため、危機が勃発してから改めてイモを植えることになる。

 その際には、普通の畑だけではなく、小学校の校庭とか、ゴルフ場の芝生をはがしてイモを植えるという計画のようだ。とにかく日本中にイモを植えて、三食それで凌ぐという、まるで戦時中の再来のようなことが、農水省の『食料・農業・農村白書』に書いてあるのだ。これが「有事の備え」とは、甚だ心もとない。

 なぜ、こんな考え方がまかり通ってしまうのだろうか。その根底には、政府の食料自給率に対する考え方がある。いまの政府には、食料自給率を上げるつもりがない。むしろ、自給率はゼロでもいいので、その代わりに、「自給力」さえあればいいのだという。

 つまり、いざという時に、ゴルフ場にイモを植えて、一時的に食料を増産可能な「自給力」さえあれば、危機にも十分対応できる、などと、勇ましいことを言う人が増えているのだ。

 平時の食料自給率を上げるためには、農家を保護しなければならない。だが、農家を「過保護」にしてしまうと、一つ一つの農家は小規模で弱いままになってしまう。農業を「過保護」にして、食料自給率を上げたところで、非効率な農業が残ってしまうと弊害も大きい。そうなってしまうよりは、生産力のある強い農家が残っていって、かつ、食料危機も凌げるのが理想だ。政府はこのように考えているわけだ。

 それもまた一つの考え方ではあるだろう。だが、その結果、「学校にイモを植えて凌ぐ」というのでは、大昔に返れと言うのと同じだ。食料安全保障の観点で、まともな政策と言えるだろうか。

 別の問題もある。もし仮に、平時の自給率がゼロとなった場合、それは国内の農業が絶滅しているということである。その状態でいざ有事となっても、イモの増産すら、もはや容易なことではないだろう。農業が絶滅しているということは、農家もいなくなり、畑は荒れ果てている。イモの作付けを指導する人材も払底しているだろう。

 それゆえ、この「自給力」さえあればいいという議論は、完全に破綻しているとしか筆者には思えない。