あなた方に、地獄というものが、どのような形で形成されているかについて、これから、少し話をしたいと思います。
 まず、仏典では、どのような記述があるだろうかと。あなた方も知ってのとおり、三つ又の矛で、ねっ、両足・そして肛門から突き刺され、火で炙られる。あるいは、針の上を歩かされる。あるいは、熱い鉄板の中を歩かされる。あるいは、鍋の中に、物凄く沸騰したお湯が入っていて、その中で煮られる。あるいは、切り裂かれるといった記述があるのを知っているだろう。どうだ。
 そして、この地獄そのものは、2500年前の地獄であると理解しなさい。何故ならば、この欲六界を構成しているもののデータというものはどうだ。コーザルの世界に存在していると言えないか。ということは、今の世界を投影するならば、そして、私たちの為したことを検討するならば、地獄といいうものは、形が変わって当然だね。どうだ。
 2500年前に、果たして電子レンジがあっただろうかと。あるいは、2500年前に殺虫剤があっただろうかと。よく考えてみよう。まず、2500年前の調理法、たとえばこれは、貝類などは今と同じように、生きたまま放り込み煮るだろう。どうだ。ということは、これと、釜ゆでの刑というものは、全く矛盾しない因と果ではないかと。どうだそれは。
 あるいは生きたまま串刺しにして焼くという作業、これを行うだろうと。どうだ。こういう食べ方もあるよね。どうだ。
 あるいは生きたままの魚を、ねっ、活き作りと称して、切り裂き、そしてそれを食べると。どうだこれは。
 あるいは生きたままのエビの皮を剥き、あれは少し酒に漬けるのかな、それを口に放り込み、そのピンピンとした、ねえ、エビの動きを舌で楽しみ、食べると。どうだこれは。 あるいは生きたままのものを鉄板で焼く。どうだこれは。
 ここら辺は、今も2500年前も、あってもおかしくないよね。どうだ。そして、この地獄の表現というものが、同じような形で表現されたとして、当然カルマは、1に対して1返る訳だから、同じ形で表現されてもおかしくないよね。どうだ。
 だとするならば、この地獄の記述というものは、正しいと考えて良いんじゃないか。どうだ。
 どうだ。現代の地獄はどうだろうかと。たとえば、生き物に対して、爆竹をつっこみ、火をつけ、爆破させると。こういう殺生をした人もいる。ま、この中にもいるだろう。どうだ。こういう人たちの行く地獄はどういう地獄だ?
 獄卒が肛門にダイナマイトを打ち込み、火をつけ爆破させると。
 たとえば、堕胎はどうだ。堕胎は、棒をつっこみ、グチャグチャにして引き出すと。これはちょうど地獄も科学が進んでいるだろうから、きっと、ミキサーの中に放り込まれ、グチャグチャにされ、殺されると。あるいは、まだ時代遅れであるならば、すり鉢かもしれない。どうだ。
 たとえば、「シュッと一ふり・キンチョール」と。殺虫剤によって虫を殺すと。その、殺虫剤によって死ぬときの虫の苦しみを考えたならば、どうだ。同じように、獄卒に「シュッとひとふり」されて、もがきながら死んでいくと。それを何度も繰り返さなければならないと。どうだ。
 そして、君たちは自己の過去を振り返りなさい。自己の過去において、そういうカルマを為したことがあるのかどうかを検討しなさい。しかも、それは、心の単純なる喜びとして、弱いものを虐待する心の働きとして、経験したのだということを考えなければならない。
 そして、今の世の中は、より一層物質化し、その「生」と「死」というものの区別をはっきりとつけ、自分たちとは一切関係ないような形で、社会を運営していこうとしている。その典型的な例が、あなた方も知っての通り、日本人の殆どの人が病院で死ぬということだ。そして断末魔の苦しみというものを見ることができないということだ。
 私は地獄を見たことがある。地獄を経験したことがある。そして、実際、この世において、弟子達を心を込めて叩くことによって、それが体に返ってくると。