出所後は翻訳の仕事から、海外スポーツライターとして活動を始め、事務所を開いて実績を積んでいった。

しかし1964年3月、妹夫婦と親の介護について口論になり家具を壊して、駆けつけた警官により逮捕、精神鑑定にかけられる。精神病質と鑑定されたSは精神科病院に措置入院となり、病院内で知り合った女性がロボトミー手術により人格が変わってしまい、その後自殺したことに激怒、執刀医に詰め寄ったことで危険だとしてロボトミーの一種、チングレクトミー手術を強行される。この医師は、Sの母親に詳しく説明せずに手術の承諾書にサインをさせたといわれている。

退院後はスポーツライターに戻るも、感受性の鈍化や意欲減退などでまともな記事を書けず、後遺症に悩まされ強盗事件を起こす。出所後はフィリピンで通訳となるが反政府運動に巻き込まれ国外追放となる。帰国後、「ロボトミー手術の問題点を世間に知らしめる」として犯行に及んだ。

裁判で再び精神鑑定を受け責任能力有りと判定されたが、脳内に手術用器具が残留しており、脳波に異常がある事も明らかとなった。Sは「無罪か死刑でなければロボトミー手術を理解していない」として無罪か死刑のどちらかを望んでいたが、1996年、最高裁で無期懲役が確定となった。

Sは、近年、服役中に体調不調により生きていても仕方がないと考え、刑務所で自殺を主張し、「自死権」とそれを認めない精神的苦痛により160万円を国に求める裁判を起こしたが、2008年2月15日、仙台地裁の近藤幸康裁判官は、自死権は法的に認められていないとして請求を棄却した[1]。