正岡子規も絶賛!凶刃に散った哀れな鎌倉将軍源実朝の和歌を訳してみた
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正岡子規「紀貫之とかいう人は大した事ないけど、
鎌倉将軍源実朝さんの和歌は本当に凄いから。
実朝さんの和歌はうわべだけの言葉をつくろうのではなく、
自然に言葉があふれてきて、しかも創造性に満ちているから。
柿本人麻呂に匹敵する歌人がいるとすれば、それは鎌倉将軍源実朝さんだから」 今朝見れば山も霞みて久方の天の原より春は来にけり
朝起きて見て見ると、山も霞んでいる。
神々のましますあの空から、春が来た事であるよ。 梅が香を夢の枕にさそひきてさむる待ちける春の山風
梅の香りをのせて、夢を見ている枕元にやってきてくれた春の山の風は、
私が起きるまで待っていてくれた事よ。 この寝ぬる朝けの風にかをるなり軒ばの梅の春の初花
目覚めた朝の風に、軒の春の梅の初花が香っている事だよ。 春来ればまづ咲く宿の梅の花香をなつかしみ鶯ぞ鳴く
春が来れば、真っ先に咲く家の梅の花、
その香りが慕わしいので、鶯が鳴き渡る事であるよ。 春来ては花とか見らむおのづから朽木の杣に降れる白雪
春が来て、花のように見える事であるよ。
偶然にも、朽木の杣に降り、溶けずに残っている真っ白な雪が。 我が宿の八重の紅梅咲きにけり知るも知らぬもなべて訪はなむ
私の家に、八重咲きの紅梅が咲いたよ。
知人も、私の事を知らぬ人も、皆私の家を訪れて楽しんでほしい。 夏衣たつきの山のほととぎすいつしか鳴かむ声を聞かばや
夏服に着替える夏が来た。筑前の山のほととぎすよ、
お前はいつ鳴いてくれるのだろうか、お前の声を聞きたいものだ。 古をしのぶとなしにふる里の夕べの雨ににほふ橘
昔を偲ぶわけではないが、旧都の夕暮れに降る雨に、橘の花が香っている事だ。 今よりは涼しくなりぬひぐらしの鳴く山陰に秋の夕風
今日から涼しくなるのだろう。
ひぐらしが鳴く山の陰に、秋の夕べの風が吹く事だよ。 吹く風のすずしくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は来にけり
吹く風の、何と涼しい事だろう。
どこからともなく、山蝉が鳴いて、秋が来た事だよ。 たそがれに物思ひをれば我が宿の荻の葉そよぎ秋風ぞ吹く
夕暮れに物思いにふけっていると、
私の家の荻の葉を僅かに揺れ動かし、秋風が吹く事だ。 事繁き世を逃れにし山里に如何に訪ねて秋の来つらむ
煩わしい事の多い世を逃れて、山里にやってきたのに、
どういうわけで秋がやってきたのだろうか。 秋は往ぬ風に木の葉は散り果てて山さびしかる冬は来にけり
秋ははや過ぎてしまった。風に木の葉は散ってしまい、
山が寂しくなる冬が来たことであるよ。 夕されば潮風さむし浪間より見ゆる小島に雪はふりつつ
夕暮れになって、潮風が寒く感じられる事だ。
波の合間から見える小島には、雪が降り続けている。 月の澄む磯の松風さえさえて白くぞ見ゆる雪の白浜
磯に吹き渡る風が寒く冴えて、澄んだ月が照り、
雪の積もった白浜が真っ白に見える事よ。 わが恋はももしまめぐり浜千鳥ゆくへもしらぬかたに鳴くなり
私の恋は、日本中の無数の島をめぐるようなものだ。
浜の千鳥たちが、行先も分からず鳴きまどうように。 世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手愛しも
この世が、変わらず永遠に存続してほしい。
渚を漕いでゆく漁夫の、小舟を綱で引いていくさまが、愛おしいことだから。 春雨はいたくな降りそ旅人の道行衣濡れもこそすれ
春の雨よ、そんなに強く降ってくれるなよ。
旅人の旅装束が、濡れてしまっては困るから。 吾が身は成り成りて、成り合あはざる処一処あり
ちんぽ入れたいなにゃあ❤ 今来むとたのめし人は見えなくに秋風寒み雁は来にけり
「今行きましょう」と約束した人の姿が見えぬというのに、
秋風が寒いので、雁がやってくるようになった、
それほど月日が経った事よ。 冬ごもり那智の嵐の寒ければ苔の衣の薄くやあるらむ
冬の修行で、那智に吹き荒れる嵐が寒いので、
僧侶たちは、法衣が薄く、いつも以上に寒いと感じられることであろう。 シコシコとこすりあげたる逸物は白露出でてもまだ匂いけり
令和天王 黒木もて君がつくれる宿なれば万世経とも古りずもありなむ
皮がついた木で陛下がおつくりになった祭殿なので、
限りなく続く世を経たとしても、決して朽ちぬ事でしょう。 山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心我があらめやも
山が裂け、海は干上がる、そのようにうつろいやすいこの世ではございますが、
わたくしは、陛下の御前に、謀反の心は決して抱きませぬ。 東の国に我が居れば朝日さすはこやの山の陰となりにき
宮中から東の国に私がいるので、朝日のように輝く陛下の御稜威の前に、
私は山の陰のように日陰者となる事です。 思ひ出でて夜はすがらに音をぞ泣くありし昔の世々の古言
思い出す度に、夜通し声を上げて泣くことだ。
ありし世の、様々な事を思い出す度に。 春秋は代はりゆけどもわたつ海の中なる島の松ぞ久しき
春と秋が移り変わり、年月は過ぎてゆく。
だが、大海の中にぽつんと佇む島に生えている松は、変わらず長い年月を生きていることよ。 年ふれば老ぞ倒れて朽ちぬべき身は住江の松ならなくに
年を取れば、老いて朽ちてゆくばかりだ。
この身は、住吉の浜辺に生える松ではないというのに。 おのづから我を尋ぬる人もあらば野中の松よみきと語るな
もしも私を訪ねる人があったならば、野に生うる三本の松よ、
その三本の木のように、私を見たとは言わないでおくれよ。 磯の松幾久さにかなりぬらんいたく木高き風の音かな
磯に生える松は、どれだけ長い年月を生きているのだろうか。
風の音が、たいそう高い木の梢から聴こえてくることよ。 大海の磯もとどろに寄する波割れて砕けて裂けて散るかも
大海の磯が轟くほどに、強く押し寄せる波。
割れて、砕けて、裂けて、散る事よ。 紅の千しほのまふり山の端に日の入る時の空にぞありける
これぞ、何度も何度も染め上げた真っ赤な染物である事よ。
山の端に、太陽が沈んでいく空の色は。 あはれなり雲井のよそに行く雁もかかる姿になりぬと思へば
しみじみと物思う事だ。遙かなる大空を飛び回る雁も、
人間につかまって、こんな原型をとどめぬ姿になってしまったかと思うと。 うばたまの闇の暗きに雨雲の八重雲がくれ雁ぞ鳴くなり
暗く深い闇空には雨雲が八重に重なっており、
その雲の合間をぬって、雁が鳴く事だ。 空蝉の世は夢なれや桜花咲きては散りぬあはれいつまで
この現世は夢なのだろうか。桜の花が、咲いては散っていく。
ああ、いつまで散ってゆくのだろうか。 とにかくにあな定めなき世の中や喜ぶものあればわぶるものあり
とにもかくにも、定めのない世の中である事だ。
喜ぶ人もいれば、苦しむ者もいる。 聞きてしも驚くべきにあらねどもはかなき夢の世にこそありけれ
無常なこの世の事、聞いても驚くような事ではないが、
人が亡くなったというのを聞くと、この世は儚い夢の世界であると思われる事だ。 いとほしや見るに涙もとどまらず親もなき子の母を尋ぬる
かわいそうだ。見ていて涙が止まらない。
両親を亡くした子供が、お母さんはどこと尋ねているのを見ると。 物言はぬ四方の獣すらだにもあはれなるかなや親の子を思ふ
言葉を話さず、その辺りにうろうろしている四本足の獣にすら、
親が子供をいつくしむ心が存在する。
しみじみと感じいることだよ。まして人の親が子を思う心は、どれほど深い事だろう。 時により過ぐれば民の嘆きなり八大龍王雨やめたまへ
恵みの雨ではあるが、時節により、度が過ぎると民草が嘆くことになる。
八大龍王よ、どうかこれ以上雨を降らせないでください。 武士の矢並つくろふ籠手の上に霰たばしる那須の篠原
武士たちが、矢の並びを直している、その籠手の上に、霰が激しく降る那須の篠原よ。 吾が太刀をしこりしこりて磨き上げ寄り添い居らぬと涙流す夕 >>35
実朝の真骨頂はこれなんよ
ナヨナヨした関東のオカマみたいな風流ごっこは要らん そもそも正岡子規をまったく評価してないからなにも心にひびかん
>>35とかはいかにもあの結核坊主が好きそうやなって感じする 親父が長生きしたり、兄貴が有能でまともな人物ならなあ 正岡子規は野球発明してないくせに
発明したふりしてた初代正岡民
こいつの言うことは信用ならん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています