自分が見ている世界が全てだと考えると
見ているこの世界には自分の目は存在しないことになる
自分がこの世界に存在しているということは第三者である「神」からの視点から見た世界が必要になる
人は「神」の一部だけについて知識を持っていて、ほかの部分は知らない
つまり、未知の部分が残っている状態である
したがって、我々は「神」の全貌を言語で表せるはずはない
それはつまり、理解できないということである
言語で表わせる・語りうる範疇を超越することはできない