ブラックホールからの脱出ほど絶望的な試みはないだろう。
実際,この不可能性をもってブラックホールは定義されている。

十分な量の物質が十分に小さな領域に閉じ込められ,
重力による収縮と伸張がさらなる収縮と伸張を引き起こす激しい応答の連鎖が起こるとき,
ブラックホールは形成される。
この潮汐力は有限の時間内に無限大となり,
「ブラックホール特異点」
と呼ばれる場所で時空そのものが突然に終わる。
特異点は,
時間が止まり,
空間が意味をなさなくなる場所である。

この崩壊する領域には,
そこから脱出可能な範囲と二度と戻ってこられない範囲とを分ける境界線があり,
「事象の地平面」と呼ばれる。
光が特異点に落ち込むことを避けられるぎりぎりの線だ。
光より速く移動することはできないので(これは物理的に不可能),何物も事象地平の向こうから脱出することはできない。ブラックホールの内部に永遠に滞留し続ける。

この境界が本質的に一方通行であること自体は,
問題とはならない。
それどころか,一般相対論による強固な予言だ。
危うさは,一般相対論が量子力学の世界に触れるところから始まる。

ホーキング(Stephen Hawking)がブラックホールによる情報の破壊を主張した1974年以来,
理論物理学は危機的状況にある。
彼はブラックホールが蒸発し,
ブラックホール自身とそこに吸い込まれたものすべてを
特徴のない放射の雲に変えることを示した。
この過程で,ブラックホールに落ちたものに関する
情報は失われるように見える。
これは物理学の神聖な原理を破る。

日経サイエンス
2022
12月号
https://www.nikkei-science.com/202212_038.html